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小説『ヌシと夏生』3_地蔵

どのくらい歩いただろう。ふと人の声が聞こえた気がして立ち止まった。

道の片側が小高く小さな山になっているところに、何の脈絡もなく現れた石の鳥居。くぐると、小さな石の階段がある。
惹かれて石段を上ったらちょうど、ささやかなお祭りか、何かの行事の最中だった。

全部で二十人もいるだろうか?高齢者とその孫くらいの子どもたちが、木に囲まれた境内に集まっている。いくつか屋台も並んでいて、小さいながらも本格的だ。

「子どもたち楽しそうですね」

「藁の中にうろこが落ちているのを拾うのよ」

おばあさんがビールを取り出し、前掛けで拭いてそのままプルタブを引いた。

「うろこって何ですか?」

「うろこ知らない?」

またアハハと口を開けて笑った。

「ずっと昔この辺は湖だったって言われててね。湖の周りをぐるっと囲んでる山に、ヌシさまが大きな体をぶっつけて切り崩したんだよ。そしたら湖の水が全部流れて出て、湖の底が現れてね。広い湖で土もよく肥えててね。そこが大きな田んぼになったって。この辺りがちょうどその湖の中心だったとかでね。湖の真ん中にあった島が山になって残ったってね」

「ヌシさまって?」

「ヌシさまはヌシさまよ。なんて言うのかね?」

「湖の『主』とかのヌシですかね?」

「そうそう。そのヌシさまだね……」

突然始まった昔話に戸惑う夏生に、少し得意気に、やや照れたようにおばあさんが語ってくれたことを整理すると、どうやら藁を積んで山に見立てて、伝説の龍のように住民たちは体当たりでその俵山を崩そうというのが、このお祭りらしい。収穫を祝う秋の祭り。丈夫な龍にあやかって、子どもたちが健康に育って欲しいという願いを込めて藁山に飛び込むのだそうだ。

この祭りのことは美津さんから預かった遺稿では全く触れられていなかったが、そんなものかもしれない。

「そのヌシさまというのは?どうして山を切り崩そうなんて思ったんですか?」

「さあねえ……。神様だからね、誰かが願ったんじゃないかね?」

「湖が消えたあとはヌシさまって、どうしたんですか?住む場所が無くなってしまうわけじゃないですか?」

「その湖のヌシさまを祀ったのがこの神社だからね。今もここにいるんじゃないかね?」

けらけらとやっぱり楽しそうだ。なんでこんなに楽しそうなんだろう?

「お兄さんはそういうことに興味あるの?」

「まあ。少し」

龍なんているわけはない。しかし、ただの昔話だったとしても自分の住処を捨ててまで、人に尽くすその理由は何なのだろう?自ら住処を失った龍の、その後が気になる。

「昔はね。こんなおっきな。それこそ掌くらいのうろこが出てきたわよ」

おばあさんの自慢が続く。

「龍だから。体も大きいしうろこも大きいのね。ずっと昔の人の言い伝えみたいな話だけど。子どもの時よく聞かされたよ」

うろこ一枚が掌サイズだったとしたら、龍の全身はどのくらいの大きさになるのだろう。想像もつかないが、その巨大な体で山に何度も体当たりしたら、確かに地形の一部くらいは変化するかもしれない。

「うろこ拾うと良いことがあるって言われてるんだよ」と、ここでおばあさんが声のトーンを下げた。

「どんな?」

「願い事が叶うんだって」まるでほかの人には聞かれてはならない秘密を打ち明けるような口調になっている。彼女にとって、それくらい神聖で大切なことなのだろう。

(つづく)

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