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小説『ヌシと夏生』19_テルテル坊主

「こんにちは」と、周囲に会釈をしながら、猫が一番奥の窓際のベッドに向かう。

「やあ来てくれたの?」

ベッドの上に座って本を読んでいた男が顔を上げた。丸いメガネを掛けた、いかにも優しそうなおじいさんといった風だ。

「おや、今日はお友だちも一緒か?」

「うん。テルテル坊主の話をしたの。そうしたら作った人を捜してくれるって」

いやいや、そんなこと言ってないけど。夏生は思う。

「夏生さんとヌシちゃん。こちらがマスター」

化け猫が二人を紹介する。

「マスターなんて。まあ小さな店をやってましてね。今はこんなだから閉めてますけど。すみませんわざわざ。ちょっと変わったことというか不思議で面白かったからね。この娘に話したらそういうのに詳しい人がいるって」とまぶしそうに目を細める。

確かにテーブルや枕の周りにテルテル坊主がたくさん並んでいる。見ていると何だか気分も晴れてくる。

「せっかく天気も良さそうだし。ちょっと歩きましょうか?」と老人が立ち上がろうとする。

「じゃあ中庭に行こう」

ベッドの足元に丸くなった猫はすぐにまた、立ち上がった。老人にとって猫は、気軽に立ち寄ってくれるほかの入院患者の娘か何かとしか映っていないようだ。

身内の見舞いに来ては、ついでに老人のところにも顔を出すという筋書きだ。たまたまお店をやっているからと、自分の店の悩みと称して、老人に店の運営についてアドバイスをもらう。

能天気なようで、意外とこの猫はしたたかだ。老人は老人で、気の合う話友達が来るのが楽しくてたまらないようだ。自分の店がまさか、この猫のおかげで夜な夜な行列ができる繁盛店になっているとは思いもよらないだろう。時々「店に居ついていた猫がいたんだが。どうしてるかな」と心配そうに言うと、猫は「大丈夫。元気だよ」と自信満々で答えている。

「先ほどご覧になられたように、朝起きたらテルテル坊主がたくさん。山ができてまして」

猫に手を取られて歩きながらおじいさんが話し始める。優しい声だ。

「どれも丁寧に作ってありましたね、真っ白で可愛らしい」

ヌシが相槌を打つ。普段あまり話さないくせに。最近気がついたが、この元神様は商売となると意外と社交的になる。

「でも、ティッシュが盗まれてるんですって?」

「盗まれている?私はむしろ、もっと進呈したいくらいです。余計にひと箱、いつも置いておくようにしてますが……」

「そうそう。私も時々、ティッシュを差し入れに持ってきてるよ」

化け猫が楽しそうに老人の周りを跳ねるように歩いている。人に化けて一人、いや一匹で店を切り盛りするくらいしっかりしているが、それでも主人の前に出ると嬉しくてたまらないのだろう。

「不思議と、見てると元気になる。入院中って意外とそんな小さなことが大事だったりするんですよね。今の時代、何年もずっと病院につながれてるなんてことはない。国だって早く追い出したくって仕方がないんだから。医療費かかるし。それでもなかなか出れない人もいるし。出ても行く場所がない、というか帰る家はあっても元のようには戻れないというか。そんな不安はやはり、あるものです。だからなのか、病院の中ってのは、どんなにきれいでも、やっぱり病院なんです。だけどあのテルテル坊主は部屋の中を晴れ晴れした気分にしてくれる。同室の人にも、欲しいという人にはあげたけど、皆喜んでくれたしね。だから作ってくれた人にお礼を言いたいなって思ったんです。確かにティッシュが盗まれたっていう人も中にはいらっしゃるけど、そんな人には新しいティッシュを箱で買って差し上げています」

「なるほど」

「看護師さんにも聞いてみたんですよね。誰が作ってくれたのかなって。でも誰も知らないって言うんです。ますます気になっちゃって。入院して初めて知りましたが、病院ってのは結構、退屈なもんなんです。だからこうして楽しい気持ちにしてくださった方に、一言お礼を伝えたいのです」

「大丈夫よ。この人たち、そういう不思議な事件を解決する専門家だから。探してくれるって、テルテル坊主を作った人」

猫が得意気に言う。

「そんなことまでは誰も言っていないだろう」と突っ込みたいところだが、この何とも言えない和やかな雰囲気を壊す勇気は、夏生にはない。

「わかりました」

まさか?と振り返ると、ヌシが腕を組んでしきりに頷いている。「嬉しい、ありがとう」猫が夏生の手を取ってぶんぶんと振った。

「やっぱりヌシちゃんたちに相談して良かった。解決したらお店でごちそうするね」

「よろしく、お願いします」老人はそう言って夏生の手を握った。

もう逃げられない……。

一体、どうやって解決するつもりなのか、聞くのも恐ろしい。きっとこの間の夫婦喧嘩の仲裁のように、無計画に引き受けているだけなのではないだろうか?

「ありがとう。素敵な青年達を紹介してくれて。おばさんにも、いつも姪御さんにお世話になってますって、お礼に伺わなくちゃな。何階にいらっしゃるんだい?」

猫に深々と頭を下げている。礼儀正しい人だ。夏生としては「もはや四十過ぎ。青年ではない」と訂正したいが、この老人から見たら同じようなものなのだろう。

「おばさん照れ屋だから。入院中のパジャマ姿ではなるべく人に会いたくないっていうから駄目だよ」と猫が笑いながらスマートにかわす。あしらい方が堂に入っている。お店も繁盛するわけだ。

「ええと、それでは……。じゃあ、まずは看護師さんかな。病院の中の人に話を聞いてみましょうか、ね?」

夏生がヌシの顔色を見ながら、提案する。もしかしたらヌシが、すでに何らかのヒントをつかんでいるかもしれないと思ったのだが、その表情からは何も読み取れなかった。

忙しそうにしている看護師に話を聞くのは難しかった。ナースステーションに声をかけても「ちょっとわかんないですね」で終わってしまう。

病院の事務方に話を聞こうとしても、広報という名刺の女性に個室に案内され「そういった事実は確認されていませんし。今後、どうしても気になるというのであれば、病院を移っていただくのもひとつの解決方法かと……」と、やんわりと追い出しを示唆される始末だった。

ちょっと急ぎ過ぎたかもしれない。ものの一時間で、行き詰ってしまった。
「そろそろお店があるから」という猫に老人が「ありがとう」と頭を下げる、「今日も楽しかったよ」。

(つづく)

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