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小説『ヌシと夏生』10_ろくろ首

「……失礼しました。厚かましくて、すみません」頭を下げる夏生に「いえ。こちらこそお嬢さんにお酒を勧めすぎたかもしれません」と、返すものの不安そうな表情だ。

「ところで奥様は今日のことは?」

「もちろん首のことは黙っています。……ちょっと変わった仕事をしている昔の友人が来るって説明しています。それ以上のことは何も」

きれいで、料理も上手で、親切で。夏生だったら、こんな人と結婚できるのだったら、首が伸びるくらい、どうってことないように思う。なんとなく取り残されたような感じで、夏生と男が黙ってグラスをなめるように飲んでいるところに、奥さんが戻って来た。

「お連れさん、あちらでゆっくりお休みになってますから。ご安心なさってくださいね」

「すみません。ご迷惑をおかけして。それに何というか、失礼なことを言ってしまって」

夏生が頭を下げるのを、「そんなお気になさらないで」と、こともなげにほほ笑む。

「少し強引過ぎって思われたらごめんなさいね。こんな素敵なお客様がいらしてくださって本当にうれしくて。私の父も母もお客様が大好きで、子どもの頃なんてそれこそ毎晩のようにお客様たちがいらしては泊まってたわ。きっと遺伝ね。それに眠くなるってことは、ご自分のお家みたいにくつろいでもらえてるってことですもの。嬉しいわ。それに……」

彼女の目が一瞬、扉の方に向く。

「さっきお嬢さんが言ってらしたこと。たぶんそれを心配していらっしゃるようにお見受けしますけれど。どうかお気になさらないで。本当のことなんですから。ねえ、貴方?」

部屋中に緊張が走った。男が硬直するのがわかる。

「それを調べにいらしたんでしょう?うちの夫がやりそうなこと。つまらない夫婦喧嘩に巻き込んでしまったみたいで恥ずかしいわ」

気のせいか、白い首がさっきよりも長くなっているように見える。

「本当にごめんなさいね。でも、もうお帰りいただくわけにはいかないのよ。うちの夫ったら後先のことを考えないから、他人様にご迷惑ばかりおかけしちゃって」

言いながら女の頭が天井の方まで上がって、ぐにゃりと曲がった。
するすると伸びる白い首が男の腰のあたりからぐるり、ぐるりと上の方に巻き上がっていく。そのしなやかでなまめかしい動きに見とれてしまう。
目の前で男が声にならない悲鳴を上げる。
顔がだんだん赤くなっていく。

「……助け……て……」髪の毛が逆立ち、どんどん顔も赤黒く変色していく。
男を助けようとつかんだ首はしっとりと汗ばんで、夏生の指先に吸い付いてくる。女性の肌だった。

「うう」

男から首を振りほどこうと、夏生が女の髪を引っ張る。シャンプーと女性の体臭が入り混じった甘い香りがする。真っ白な首は頼りなさ気に夏生の手の中でぐにゃりと潰れるがすぐにまた元通りになる。

「お客様は静かに待っていてくださいな。もうじきですから」

女の声がさっきとは全く違った音を出している。「あああああ!」男の足元に水が滴る。失禁したようだ。

「助けてくれ。ヌシ。頼む!起きてくれ」

夏生が叫ぶのを楽しそうに女がわらう。

「あの娘はもうずっと眠ってるから」

「ヌシに何をした?」

女の髪をつかんでいた夏生の手が緩む。

「何も。ただ目を覚まさないようにしただけよ。あなたもケーキを召し上がれば良かったのに」

まさか。あの石の地蔵を片手で受け止めたヌシがそう簡単に死ぬわけがない。そう思いながらもヌシの細いシルエットを想う。

「ヌシ……」

目の前の白い首に怒りが込み上げてくる。

「その男から離れろ」

伸びきった女の首の柔らかい肌をつねり上げる。
突然顔面に大きな衝撃を食らって夏生の体がソファに飛んだ。起き上がろうとする夏生の顔に再び痛みが走った。夏生の鼻に硬い頭がめり込んだ。女が自在に動く首を振って、重い頭部をたたきつけてくる。女の顔が夏生の鼻血で赤く染まる。長い首で締め上げるだけじゃないんだ……。何度も硬い頭で顔面を殴られ、夏生の意識は朦朧としてくる。

「何をやっているんだ?」

声とともに繰り返されていた衝撃がやんだ。

「……ヌシ?」

痛む鼻を抑えながら起き上がる夏生の前に、白い姿がたたずんでいた。片手に女の首を掴んでいる。

「夏生に痛いことをするんじゃない」そういって女の頭を投げる。女の首の半分は、相変わらず強い力で自分の夫の体を締め付けてるようだ。
夏生は起き上がると、再び女の首に手をかけた。男が苦しそうにうめいている。「今助けるから」全体重をかけて首を引っ張るがさっきよりよほど力も強くなっている。「くそ、離せ!」女の髪をつかんで引っ張るがやはりびくともしない。

「お前うるさいぞ」

そう女が叫んだとき、ふっと首の力が緩んだ。思い切り引っ張っていた夏生の体がバランスを崩して後ろに倒れる。倒れながら男の首が胴体から離れて宙を飛ぶのが見えた。締め付けられすぎて首がちぎれたのか。
夏生の耳に、自分の悲鳴が聞こえる。その声が自分のものだと気付くまでに若干の時間がかかった。

(つづく)

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