国会とか民主主義とかマジでわからない、今、日本のそれらの何がおかしいのかマジでわからない、という方にお読み頂けるとうれしいです。
【超手前味噌ですが(マジに味噌豆茹でながら書きましたが)国会とか民主主義とか、今何がおかしいのかについて頑張ってわかりやすく書きました。超長文ですが政治とか国会マジわかんねーって方に読んで頂けるとめっちゃうれしいです!】
本当に良い本を入れて頂きました!
新聞広告で見つけ、住んでいる地域の図書館さんへリクエスト。
リクエストした自分を自分でほめてあげたい。。
私は全く知らなかったのだけど
「国会パブリックビューイング」という活動があります。
国会の映像を街頭で見てもらう活動です。
テレビのニュースなどで放送されている
国会の様子はめっちゃカットされています。
なので、
そういう物だけを見ていると
「野党はだらしない」
「野党は反対ばかり」
と思うようになっていきます。
でも、だからって国会全体を見る時間を
持てる人ばかりではありません。
それに、国会でのやり取りって
なんかわかりずらい…。
なんでわかりずらいか。
その一つの例として
「ご飯論法」があります。
まさにこの本の著者、
上西充子さんが発案者です。
どんなやり取りかというと、
Q「朝ごはんは食べなかったのですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
というようなものです。
もちろん、ご飯うんぬんと言うのは
上西さんによるわかりやすい例えです。
答える人が質問する人に対して、
誠意があるなら
こういう返答にはならないはずです。
と言うと、
「野党の訊き方が悪いんじゃないの?」
と思う方もおられるかもですが、
本書ではそういう問題ではないと
例が示されています。
本書を読んで頂きたいので
詳しくは書かないのですが、
どんな質問でも
「いずれにいたしましても」とかわし、
訊かれていないことに
もっともらしく答える例が出ています。
質問を受け止めない
かわす
答えない
最もらしいことを言う
そうするうちに
野党議員は質問できる時間
「持ち時間」を失っていく。。
そういうやり取りは
物事が進まないし、
見ている方にしてもわからない。。
かといって、
テレビニュースなどでは、
野党がダメだと思えてくるような
編集をされたものが流れています。
もし本気で日本国民に
政治に興味を持ってもらいたかったら
「朝ドラ1週間」や
「5分で大河」とか
「大相撲ダイジェスト」
のようなもので国会を伝えればいいのだけど、
日本がしていることは
国民に政治に興味を
持ってもらいたくないのだと
思えてくるくらいです。
実際日本で教師をしていた友人は
「日本では性教育と政治は学校でめっちゃタブーだったよ」
と教えてくれました。
みんなが政治に無関心だと
一部の人に都合がいいことがあるからかもしれません。
上西さんは言います。
国民が政治に興味を持ってこなかったから、
与党もこんなバカにしたような答え方でもいいだろう、
となってしまう。
そして報道もよくない。
強行採決の混乱は伝えても、
法案の意味は?
論点は何?
野党は何に反対しているの?
野党が指摘する問題に政府はどう答えているの?
というところを伝えていない。
法制度がいつのまにか変わり
知らないうちに苦しむ世の中、
ではなく、
論点をめぐって、
どういう質問と答えが展開されているのかを
日々整理して報道してくれれば、
「知らないうちにとんでもないことに!」
ということにはならないのでは、と上西さん。
そして、そういう風な報道なら、
国会議員としての日ごろの活動が伝わるし、
選挙の時にも
「この議員に」「この政党に」
とより適切に選ぶこともできるだろう、と。
でも、現実そういう報道はされていません。
そこで
「国会パブリックビューイング」です。
上西さん達は、試行錯誤の上
「〇〇反対」のようなメッセージはせず、
インパクトのある場面を短く編集もせず、
その前後も流し解説することで
見ている人に考えてもらえるような映像に
されていったのだとか。
いろんな方が立ち止まられて
時間をかけて見ていかれるそうです。
この活動の意味はなにか。
それは、
みんなが国会を気にすることで、
国会を正常化させたいから。
質問をはぐらかしたり、
わざと長ったらしく言って
野党の時間を奪ったりする。
そんな国会ではちゃんと
話し合いになっていないから、
みんなが国会を気にし、
見ていくことで
それを正常化させたいのだとか。
だからこの活動は
現政権を倒したい訳ではないのだそうです。
もし倒れたとしても、
国会が正常でないことが
問題となって、正常化されなければ、
次の政権も同じことを繰り返すかもだから。
私もよく言っている「選挙に行こう」
それも大事だけど、
でも、本当に大事なのは、
「数」ではないと。
というのも、
民主主義というのは
「数が多い方で決まる」とは言うけど、
その「決める」までに、
どれだけ少数派の意見であろうと、
決めるまでにたくさん意見を出し合い、
伝え合い、話し合い、
その上で「多数決を取る」ことを言うそうです。
きちんとみんなで意見を出し合い、
話し合った結果、多数が選んだことなら
少数の人も納得がいく、というのが
本来の民主主義なのだとか。
なので、数が多いからと言って、
まともに話し合うこともせず、
国会の大切な時間ははぐらかしに使い、
そして強行採決。
それは民主主義ではないんですね。
そういうことも
本書にはわかりやすく書いてあります。
上西さんは言います。
活動の主催を始めてから
日本国憲法の第十二条の条文が
実感できるようになった、と。
「自由」や「権利」は
誰かが保障してくれるものではなく、
自分たちで守り「続け」ていかなければ
無くなってしまうものなのだとか。
憲法が保障していると言っても、
その自由や権利が侵されている時に、
その努力をするのは私たちなのだ、と。
「たとえ首相が交代しても、
あるいは政権交代が起きても、
それだけでは変わらない。
水底に積み重なった澱が深ければ、
変わるために要する時間も長くかかるだろう。
だからこそ、地道な取り組みが大切だ。
本書もその一助となればと願う」
という言葉で本書は締め括られます。
ああ、よくぞこの本を
地元に持ってきてもらったなぁ!
ほんと、いいことしたなぁ!
って自画自賛したくらい、いい本でした(笑)