沖縄と沖縄人を差別してきた自分にアラフィフになってやっと気がつけた
映画を観て、話を聴いたら、誇りを持っていたはずの「自分の朝」から色が消えた。
自宅開業をしながら、子育てをしています。
数年前までは、家族は放ったらかしで仕事中心の間違いだらけの生活をしていましたが、今はそんな自分を反省し、なるべく家族を真ん中にする生活を目指しています。そんな私にとって、朝起きてすぐの時間は、昨日まで誇らしいものでした。
アーユルヴェーダのお白湯さんを作りながら、粉石鹸を溶いて洗濯機を回し、あちこち掃除して、洗濯物を畳んで、お弁当や朝食の準備、ときどき夕食の下拵えをするという『鬼滅の刃』の台詞通りの「生活は大変だけど、幸せだな」という、変わりのない毎日の時間を誇りに思ってきました。
けれども、三上智恵監督の来年に公開を予定されている映画のスピンオフを観て、新潟県立大学の福本圭介先生の話を聴いた翌朝、誇らしかった朝が急に虚しくなりました。色が無くなりました。私が毎朝、感じてきていた幸せというものは、沖縄を差別している上で成り立っていることが分かったからです。
今、沖縄で物凄い勢いで軍事化が進んでいる
それだけ自分が変化した昨夜のことをお伝えします。
まず、『沖縄、再び戦場(いくさば)へ(仮)』のスピンオフを45分間観ました。
SNSで繋がらせてもらっている、皆さんの姿がありました。
普段、皆さんの投稿を目にしているはずなのに、私はこの映画を観るまで、ここまで軍事化が進んでいることが分かっていませんでした。
自衛隊基地があり、ミサイル基地が作られ、弾薬庫も作られました。それは言葉では知っていても、こんなに大きな施設に沢山の軍備だとは想像もしていませんでした。
そして【宮古島での戦闘】を想定し、カタピラをタイヤに換えた戦車が200機配備されています。日本の自衛隊がそれらを使うのです。【宮古島での戦闘】ってなんなんでしょう?そんなことにならないために外交があるのではないでしょうか?
その上、那覇市では【シェルターの建設】や【避難訓練】が進められています。
ある首長が「一回くらい練習しとかないと、本番が来たら大変」と言っていて、もう、沖縄が戦場になることは秒読み段階に入っていると感じました。
ご年輩の男性が「もう、沖縄は戦争になっている。むなしいねぇ。むなしいよ。僕は戦争体験者だから」と言っておられて胸が詰まりました。
映画で相当ショックを受けていたところに、新潟県立大学の福本圭介先生による講演が始まりました。
世界から沖縄を見ると、沖縄は日本から虐待され、差別されている
ここから先は、福本先生の講演で知ったことです。
国連は、日本政府は沖縄人は先住民と認めて、彼らの文化、言葉、伝統を守るようにと言っています。日本政府はアイヌを認めても、沖縄は認めていません。何故なら、それを認めてしまうと、先住民に負担を強いている現実しか残らないからです。
先日知人から聞いたのですが、オーストラリアでは、先住民アボリジニーにとって神聖な場所である、エアーズロックに登ることが禁止されたそうです。実は私は20代の頃、エアーズロックに登ったことがあります。ガイドブックには「アボリジニーの聖地」とありましたが、今思うと私は、それを全く気にしておらず、尊重もしていなかったことが分かります。何の疑問も無く、登ったのです。福本先生の話を聞いた今、このことが、なんの尊重もない、どれだけ無神経な行動だったのかと思い知らされています。
世界の動きに照らし合わせて沖縄を考えると、沖縄人を先住民と認めることで、沖縄にだけ偏って基地が置かれている歪さが浮き彫りになります。しかし、日本政府はそれを認めていません。
国連の人種差別撤廃委員会は2010年、日本政府に【沖縄への基地集中は人種差別だ】と注意したそうです。しかし、日本政府が無回答なため、2014年、2018年にも注意を受けています。
誰が誰を差別しているのか
日本政府は、沖縄で戦争に巻き込まれ、犠牲になった人、濡れ衣で殺された人、今も差別感を持って基地を押しつけていること、どれもまだ謝罪していません。
この日本の沖縄への態度は150年間変わっていないと福本先生は言います。
映画の中で女性が言います。
「(戦争を)するんだったら、自分のところでやりなさいよ」
福本先生は言います。
「これは私たちヤマトンチュ(日本人)にこそ向けられていることを、覚えておいてほしいです。」
胸が詰まりました。
日本人が(ヤマトンチュ)が沖縄人(ウチナンチュ)を差別している事実。
意識していなくても、というか、意識していないからこそ差別なのだと分かりました。
意外だけど、知ったから、やっと持てたヤマトンチュとしての誇り
そんなこんなで、昨夜、自分の本当の姿を知りました。
今まで、いろんな国を旅したり、滞在したりしてきました。
白人の人に差別されることは何度もありました。その都度「ああ、差別している人って良くない顔してるなぁ。ああはなりたくないよねぇ」と思ってきました。
でも、私も差別している人だったのです。
ものすごい衝撃でした。
けれども、ようやく自分の立つところが分かったという気持ちも湧いてきました。
年齢や体重、身長と同じように、私は日本語を話す日本人で、そして、沖縄をずっと差別して生きてきました。これらは事実として並べられることです。
開き直る訳ではありませんが、これらはただの平たい現実であり、事実です。そして、変えることもできません。
何も盛らず、何か卑下するでもなく、これが私のゼロ地点だと思いました。
もちろん、真実の自分の姿を知ったことは辛かったです。自分が恥ずかしいし、情けないし、あまりに何も知らず、幼くて悔しくなります。
けれども、これを知らなければ、嘘の自分のまま、更に罪を重ねるかもしれません。それを想像する方がゾッとします。ゼロ地点の自分に一歩近づけた夜でした。
今までどこか「日本人ですみません」という思いで生きてきました。誇りも全く持てずにいました。アジアを旅したときもそうだし、西洋の国にいるときも日本人としての誇りは全く持ち合わせていませんでした。お隣の韓国の子や中国の子からは、自分に誇りを持っていることが伝わってくるのに、自分はなんだか、実態が無い人のような気がしていました。
けれども、とてもショックだったけれど、自分が沖縄を差別していることが分かり、そのことが腑に落ち、そのことで自分のカタチというようなものを1つ知ることができました。
自分の真のヤマトンチュとしての姿を知ったからこそ、自分の立っているところが感じられました。立っているところが分かると、なんだか力が湧いてきました。
ずっと差別をしてきた卑しい自分が、むしろ、それを知らなかった頃より、今の方が、自分の実態を感じられていますし、誇りも感じられています。ヤマトンチュとして、恥じない生き方をしていきたいです。今まで自分が、ふんわりとしていたのは、この地に足着いている部分、自分の真の姿という足下を見てこなかったからだと気がつきました。
今回に限らず、平日の夜に上映会に行くことは子育て中の自分にはとても難しいことです。けれども、長岡アジア映画祭実行委員会!さんのお手紙を読み、どうしても行きたいと思い、あちこちにお願いすることで叶えることができました。本当に行って良かったです。人生が変わりました。
映画を作って下さった三上監督と製作に関わって下さった皆さん、上映して下さった、長岡アジア映画祭実行委員会!さんの皆さん、お話下さった、福本先生、そして、ヤマトンチュの間違えをずっと伝え続けてくれている沖縄の皆さんに感謝いたします。自分の醜さを知ったこの苦しさを忘れず、これからの人生を進みたいです。