『鬼滅の刃』がきっかけでアラフィフ女性が1年間少年漫画を読みまくり『鬼滅の刃』と他作品の大きな違いに気が付いた話
『鬼滅の刃』は少年漫画の王道と呼ばれたり、異色と言われたり、さまざまな見方がされています。鬼滅と出会って1年、多くの少年漫画を読むことで鬼滅と他の作品の違いに気がつきました。
40代後半まさかの少年漫画の世界へ
『鬼滅の刃』があまりに素晴らしく、早く続きが読みたいと『週刊少年ジャンプ』を買うようになりました。まさか40代後半で『週刊少年ジャンプ』を毎週買うことになるとは思ってもみませんでした。そのまま連載終了後も『週刊少年ジャンプ』を書い続け、読み続けています。
子どもの頃から漫画が好きで、大人になっても読んでいました。が、青年誌は読んでも少年漫画はまず読みませんでした。「別の世界のもの」くらいに思っていました。
その私が鬼滅をきっかけに、今ではジャンプ本誌のほとんどの連載を読み、他誌のものもコミックスで読み、その他、往年の名作も読み始めています。1年間に読んだものの中で一番ウエイトを占めているのが少年漫画です。
少年漫画の設定はあり得ない世界のことが多いのですが、そこで描かれていることはとてもリアルです。少女漫画がその逆なのと対照的です。その上、少年誌は少年から青年へ成長する時に必要なものが詰まっている作品が多い気がします。
このように少年漫画を良く評価すると聞こえて来るのが、少年漫画を読む子ども達の未来を心配する声です。その中に女性がモノ扱いされている、というものがあります。私もかつてそれを一番問題視していたので、その気持ちはとてもよくわかります。実際、確かにそういう漫画と出会うこともありますが、女性が人間としてではなく「男性から見た女性」としか描かれていない残念な漫画は側から見ていてもそんなに人気があるように思えません。『鬼滅の刃』でも描かれていましたが、子どもは大人の進化系。そして現在『週刊少年ジャンプ』の読者の約3割が女性だそうです。これらの背景から、これからはそんな漫画は自然と淘汰されていくのかもしれません。なので「女性を人としてではなく、男性から見た女性としか描けていない残念な作品」があることも承知しつつ、今回はそれらには触れず少年漫画と『鬼滅の刃』の違いについて書いていこうと思います。
尚、『鬼滅の刃』と吾峠呼世晴先生の大ファンですが、ファンだからこそ神格化することなく、客観的に見ていきたいです。
『鬼滅の刃』は他の少年漫画とここが違う
少年漫画で多く描かれるものに戦い(バトル)があります。味方同士、同期同士、同じ思想同士だろうが関係ありません。戦うことで人同士の距離が近づいている感すらあります。が、鬼滅は違います。
その理由①主人公の竈門炭治郎の特異性
鬼滅でも同じ時に入隊試験を受けたいわゆる「同期」がいます。大抵の漫画ではその同期とも戦いがあります。が、鬼滅は違います。伊之助が力比べを持ちかけようが炭治郎は伊之助の怪我の心配しかしません。心を閉ざす玄弥にも、戦いなど持ちかけず、ただひたすらに相手の心を開こうと話しかけます。唯一、炭治郎が鬼殺隊の仲間に持ちかけた「戦い」は先輩である義勇さんに元気を出してもらおうとしたもの。しかも蕎麦の早食い!とことん他の少年漫画と違っています。
少年漫画では戦いに生きる主人公も多い中、炭治郎は鬼のいない世になった後は生まれた山に戻り、炭焼き職人として今までの自分の生活へ戻っていきます。片眼、片腕を失ったとはいえ、炭治郎は義勇から「お前のその実力は柱に届くと言っても過言ではない」と言ってもらった程の剣の腕前。なんだかもったいない気もするのですが、彼にとって「戦う」ということは、妹の禰󠄀豆子を人間に戻し、鬼のいない世にするためだけのものでした。そこもなんだか他の少年漫画と違います。
その理由②鬼殺隊員は超多忙
炭治郎と禰󠄀豆子が連れて行かれた柱合会議。大抵の少年漫画なら柱達と鬼を連れた隊員、炭治郎との戦いがあってもおかしくはありません。お館様の鶴の一声があったとはいえ、それくらいで引かないのが多くの少年漫画です。ところが鬼滅では、柱達の多くは炭治郎を認めないとするものの、それで終わりです。不死川実弥のしたことなど、他の少年漫画の比ではないくらい少ないページ数でしかありません。鬼殺隊員、こと柱達は超絶忙しい。だから炭治郎のような隊員と戦ってる暇はないのです。そこが他の作品と違うところです。
少年漫画での味方同士の戦いは、自然発生的なものもあるし、学校などの行事だったり、授業の一環だったりすることもあります。鬼滅でも柱同士、互いの技術を高めるためにそういうことをしているとあります。が、それに数話かけたりはしないのが鬼滅です。不死川実弥と義勇さんの稽古が描かれるのはわずか数ページ。悲鳴嶼さんと不死川実弥もそのように稽古してきたらしいものの、それは二人の会話から察するのみで、実際の場面は描かれていませんでした。
『鬼滅の刃』のあまりにも研ぎ澄まされた厳しい世界観
『鬼滅の刃』初代担当編集者さんへのインタビューで明かされていますが、担当さんは炭治郎が最終選別を受ける際、義勇さんが見守っているというのはどうかと吾峠先生に提案します。しかし、吾峠先生は「義勇はすごく有能な剣士なので、こんなところで審査する立場ではないです」とキッパリ。
作品がこれだけのヒットとなった背景に、無くてはならないのが吾峠先生がこの時も貫いた世界観です。厳しい。けれどもそれが鬼滅が描き切った世界観であり、今を生きる子ども達が共感した世界観なのです。漫画がヒットする前に、吾峠先生の想いと世界観を通した編集さんもすごいと思います。
授業などの一環で戦う、とか、同級生同士、味方同士での確執。多くの作品で、多くの話数を占めるそれらが鬼滅ではほとんどありません。少年漫画の定番を外したことで生まれた刹那な世界観。そして、そのおかげで少年漫画初心者の私でも入りやすかったのかもしれません。
子どもでもわかる鬼滅の世界観
そして、鬼滅が他の作品と違うところに「子どもでもわかる」というところがあります。この1年間、たくさんの少年漫画を読んできましたが、一度読んだだけではわかりにくい漫画もたくさんあります。「主人公達が所属している組織は表向きではこうだが、実は裏ではこういうものだった」というような複雑性が鬼滅にはほとんどありません。例えるならば「あまねさんは実は他の組織からのスパイで、鬼舞辻無惨と対立しているものの、産屋敷家に怨みも持っている」というようなものです。
鬼滅の世界では、鬼殺隊は鬼殺隊で一枚岩。鬼の世界も無惨により徹底的に管理されています。無惨の知らないところで他の勢力が生まれたりはしていません。珠世さんという存在もありますが、彼女は単独行動をとっています。他の作品ではその珠世さんが所属する組織なども出てきたり、愈史郎くんが暴走して別組織を作ったりするかもですが、そこからすると本当に鬼滅は明解な世界観と言えます。
そこまでして少年漫画を読む意味とは
今でこそ、スポーツ物だろうが料理物だろうが、味方同士の戦いがあることに慣れましたし、複雑な世界観があったとしても「うーん、よくわかんないとこもあるけど、まあ、いいか」とあまり気にせず読み進めています。もし『鬼滅の刃』で少年漫画の魅力を知ること無しに、他の少年漫画で最初にそこでつまづいていたら、少年漫画は自分には無理、と諦めていたと思います。
どうしてそこまでして少年漫画を読むのか。それは少年漫画から得ることはとても大きいからです。人は現状維持しているだけでは退化していると言っていいと思います。木を見てみれば、去年より今年の方が年輪を増やしています。自然界にあるものは進化してこそ生きていると言えるのです。
少年から青年へまさにジャンプする時に必要なものが詰まった少年漫画。そこで必要な勇気や知恵、努力は、大人だろうと成長したいと願う人にとって必要なものばかりです。
この真理に気がつかせてくれた『鬼滅の刃』には感謝しかありませんし、その後私が読んできた多くの作品に対しても感謝しています。これからも進化、成長のある人生を送りたいと思っています。なのできっとこれからもそんな私の側には少年漫画があることと思います。