『鬼滅の刃』と『暗殺教室』に40代女性が感動した話
『鬼滅の刃』と『暗殺教室』素晴らしい作品に出会えたので書き記そうと思います。
鬼滅では鬼になることは
本来の人の生き方からすると、
哀しいことだと位置付けられています。
多くの方が
最終回までお読みでないので
今は書きませんが、
吾峠先生は「鬼になる」という
気持ちに寄り添いながらも、
「鬼になる」選択をした「人」に
厳しさも突きつけています。
世の理からしても、
子どもが読むものとしても
もっともなことだと思います。
多くの鬼殺の剣士達は
大事な人を鬼に殺され、
それで剣士を目指します。
とても厳しい世界観だと思います。
ここを伝えるための表現が
「子どもに見せていいのか!?」
になるのだと思います。
そういう背景を持つ彼らなので
「自ら鬼になる」
という選択をする人は稀です。
でもいますが。
基本、剣士で鬼になるのは
「稀」というのが
デフォの考えの世界観です。
けれども、
私達現代人は、
それほどまでの思いをしたり、
それほどまでの
強い思いを抱きにくくなっています。
大正時代に厳しい思いをした
鬼滅の剣士達とは違うのです。
「鬼にならない」を抱くことも、
持ち続けることも難しいのです。
だからこそ、
彼らの清廉さに私は憧れますし、
目指したくなります。
吾峠先生もその厳しさ、
清廉さをお描きになりたくて、
あの世界観を作り上げたのではと思っています。
だから鬼滅みたいな厳しい世界観が
今を生きる子ども達にウケていること、
ほんとびっくりです。
それほどまでに、
今の子ども達もまた厳しさの中で
生きているのではないかと思います。
一方の『暗殺教室』
これは
「鬼になってる場合じゃない。自分を活かさないと」
ということを伝えてくれているマンガです。
鬼滅を読んで
「鬼にならない自分になりたい」
と思いました。
そして暗殺を読んで、
「鬼にならないぞ」
という自信をつけました。
両作とも
「鬼となり自分を殺すな」を
言っていると思います。
子どもが読むものとして
大事なことを伝えていると思います。
鬼滅は陰陽で言えば陰。
暗殺は陽でしょう。
そして、暗殺は鬼滅のアンサーになっている。
この陰陽のマンガが
今、この世に両方あるという奇跡。
そしてやはり宇宙は
陰陽でできているという納得。
ああ、ほんと、
両先生方ありがとうございます!
そしてギミックが
両作に仕掛けられています。
表面だけ見て、
本質が見られない人は楽しめない
というギミックです。
無論、鬼滅の表現には
賛否両論あるべきだと思っています。
暗殺もそうかもです。
なので怖くて読めない、
見られない子どもは
私の知る限りでもたくさんいます。
大人にも多いです。
そういう人が
無理して読むものではありません。
元々少数の人のために
描かれた厳しい世界観ですし。
けれども、もし、両作の表現が
大丈夫というのなら
読んでみたらいいと思いますね。
ブームだから。
流行り物だから。
という色眼鏡を外して、
一つの作品として見てほしいです。
「私、ブームに乗れなくて」
と言われると悲しい気持ちになります。
どうか、そこで判断しないで。
そう思います。
それにしても、
ジャンプすごいなぁ。。
『暗殺教室』で目が覚めた。
今までは飛ばしてた他の作品も読んでみようかなぁ。