ADHDだけどそれが何?
ADHDとうつ病と診断されて、最初は受け入れることができなかった。
それまでなんとなく感じていた生きづらさは思い過ごしとして気にせず生きていくこともできたのに、はっきりと科学的にあなたの脳には欠陥があります!生きづらさの正体はそれです!って言われてしまい、気にせずにはいられなくなった。
診断された頃、住んでいた地域で殺人事件が起きた。
犯人はしばらく捕まらなかったので、平穏な地域に不安が漂っていた。
そんな殺人を起こす人でさえ私よりも脳が正常なのだと思うと、やるせない気持ちになった。
大人のADHDの診断の際に幼い頃の行いを知るため、母親にヒアリングがあった。
幼い頃から興味あることにはずーーーーっと何時間でも眺めている集中力があるのに、興味ないことにはコロコロ意識があっち行ったりこっち行ったりしていたらしい。忘れ物も多かった。じっとしていられない子どもだった。
他にもADHDっぽいエピソードは枚挙にいとまがなかった。
正式に診断されたあと、母親に電話して「ADHDだったよ」と伝えた。
「診断されても、あんたはあんたのままやからね。心配せんでええよ。」と言われた。
その言葉はすぐには飲み込めなかったけど後々効いてきた。
診断された直後は落ち込んだ。
落ち込むというのがあまりなかった人生だから、落ち込むことに戸惑いもあったけど、顔を上げる気持ちになれず、落ち込むことも自然と受け入れるほどには虚無感に襲われていた。
しかし、飽きるのも早かった。
所詮、落ち込むのも長続きするほど立派な前頭葉は持っていなかったのだ。
落ち込むのに飽きてADHDを受け入れ始めた頃、私は私でそれ以上でもそれ以下でもないのだと思うようになれたのは母親の言葉のおかげだと思う。
幼い頃から個性的と言われ続けてきた私だ。
ADHDも個性だと思うと、どうでもよくなった。
それよりも自分のことがよく見えてきて、ワクワクした。
以前書いた記事の通り、何者かになるには、今が何者かを知る必要がある。
現在の私の特性を知ることで、今後の成長する姿を想像しやすくなった。
自分の脳みそがこんなポンコツなら、ポンコツなりに、ポンコツだからこそできる面白いことをやろうと思った。
性根の部分は楽天家なのだ。
だから、今となっては大声て言える。
「ADHDだけど それが何?」