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生きていれば良いことあるよなんて無責任

生きていればって逃げの言葉じゃないかな。
その後良いことが起きても起きなくても責任なんてないんだから。
明日には明日にはって最期を迎えても文句なんて言えないもんな。
生きていれば良いことあるよって、待ちの姿勢になって
感度が変わらなければいつまで経っても良いことを感じないままになってしまう気がするんだ。

それよりも、考え方とか捉え方とか心の感度を変えることで今すぐ良いこと見つけてみようよって教えてくれる方が生きる希望が湧いてくる。
一緒に見つけようって言ってほしかった。

例えばさ、空がきれいだよ。気持ちいいねってそんなんでも良いの。
弱っている時は盲目になって良いことを感じる心が鈍ってしまっているから眼の前にある良いことを教えてくれたらいいと思うの。
死にたいときでも喉は渇く。
水道の水を飲めることも幸せなんだよって。
世界196カ国の内、水道の水が飲めるのは12カ国だけ。
水道の水が飲めるのは当たり前じゃないって教えてくれたら、コップ1杯の水にも感謝できると思うな。

良いことの本質は、おきた事象そのものではなくて、それを良いことと感じる心にあると思う。
そして、その心の感度は意識するかしないかでプラスにもマイナスにもなるんだ。
感度は鍛えればどんどん感じ取りやすくなっていく。
良いことあるよって言葉をかけてあげるぐらいなら、感度を意識するきっかけを教えてほしい。

ただひとつ問題がある。
生きていれば良いことあるよって声をかけたくなるような時は、多分弱っている。
そんな弱っている時に良いことは心を変えると今すぐ見つけられるよって、聞こえ方によっては、今の心の在り方を否定されているような気分になってしまう。
弱っている状態の時に否定された気になってしまうと、更に凹んでしまう。
攻撃されたと思ってしまうかもしれない。
正論は時に傷つけることもある。

では、どうするか。
やっぱり弱っている時は、いきなり真理を伝えるんじゃなくて、まずは話を聞くこと、弱っている人の立場になることが大事だと思うな。
話を聞いて、その中で捉え方を変えていくヒントを伝えたらいいかなと思うのです。

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