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これはゲームなのか?展で感じた、熱い気持ち

これはゲームなのか?展にいってきました。

写真使いながら色々紹介しようと思ったんだけど、とりあえず、考えたことなど、ざーっと書きました。ぜひ。熱い気持ちが冷めぬうちに。


この展示に行く道すがら、そもそもゲームってなんだ、って考えてた。

ゲームの中には、テレビゲームとかボードゲームとかいろいろ種類がある。

これらをゲームとして一括りにするならば、「共通のルールを認識したもの同士が、それに則り勝敗を決める」ということだろう。

ここから考えられるゲームって、色んなものがあるよな〜って思いながら向かったけど、まさに。

ギリギリゲームって呼べるよな、いや、呼べないのでは?ってのがたっくさんあった。

すごく考えさせられて、その中でも楽しくエンタメで。よかった。

でも、一通りみて思ったことは、これをゲームかも、と思って発表することと、それを楽しむ人が多くいるって、最近のゲーム界隈におけるリテラシー、上がりすぎじゃん?ということ。

どういうこと?って思う?

でも、本当にすごいな、って思ったんだよ。


ひと昔前までのゲームといえば、(テレビゲームを除いて)麻雀とかトランプ、が一般的だったと思う。

麻雀とかトランプは、「共通のルールを共有している人たちが、共通のツールを使って遊ぶ」っていうゲームじゃん。

ここらへんのことだけをゲーム、って思っている人は、「ゲームなのか?展」は、全く理解できないと思う。

この展示を理解して楽しむには、人狼ゲームの台頭以降、大きく変革したゲームのリテラシーを、追えているかどうかが、ポイントになってくる。

人狼ゲーム、すごい流行ったよね。テレビ番組になったりしたし、何よりみんなやったこと、きいたことはあると思う。

これによってゲームにおけるリテラシーは、大きく変化した。

人狼ゲームによって、「決められたルールの中で使うツール」が、完全に「自分」になり始めたんだよ。

わかる?すごくない?

トランプも人狼も、ゲームの大枠は同じ。

「自分に与えられたカード手札(役職)に応じて、勝利へむけて思考し、立ち振る舞う」

一緒なんだけど、一番の違いは、勝利への戦略の「表現」が、「自分」へと回帰しはじめている、という点。

面白い。

例えば、人狼。各役割に応じて色んな戦略があるけも、それをゲームにおいて表現するのは、「自分の発言」じゃん。

麻雀やトランプは、自分の戦略の表現は、「牌やカード」だけ。

例えば、大富豪(大貧民?)において、

「最初から2ばっかり出す」

これは、「革命起こすぞ」っていう、戦略の表現。

もちろん、表情や発言のブラフはあるけど、戦略の決定打は、カードの切り方、でしょ?

でも人狼は、違う。

自分が人狼になった時にとれる戦略は、自分の発言や態度でしか表せない。

「あえて多く発言してみる」

とか、

「ボロ出ないように黙る」

とか。

ゲームの展開に合わせて変化させるのが「カード」じゃなくて、「自分」に変わったのが、人狼あたりから。

つまり、ゲームの緊張感溢れる展開に、自らが当事者として立てるようになったのが、人狼ゲームだ。

これはやっぱり大きな変革で、なんとなく社会全体がそっちに行き始めたのと関係してる気がする。

自らが発信者となって、当事者として生きていかなくちゃ!って風に社会へ変革していく中で、ゲームにもそういう変化が現れたのは本当に面白い。

ね。

それは置いておいて、これによってゲームのリテラシーも大きく変化したんだよ。

今までのゲームにおける戦略の表現は、ほとんどルールに則り行われていて、そのツールも限られていたから、自己の表現って難しいんだよ。

ある程度練度が高くなると、「攻めるなあ」とかは思うかも知んないけど、それはもう別次元の話。

人狼の台頭以降、みんな気づいたんだと思う。

あるルールにさえ則っていれば、自由に立ち振る舞っていいんだって。しかもそれ、すごい楽しいぞ!って。

リアル脱出ゲームもそう。

謎さえ解けば、何してもいい。謎解きの舞台の当事者となって、あとは自由に振る舞っていい。

脱出ゲームは元はアプリゲームあたりかな?

そういうゲームでは調べられるところは限られているし、「じつはこうするんじゃない?」という突飛な発想も、試すことはできない。

でも、リアル脱出ゲームは、ルールにさえ則っていれば、なにをしたっていい。

そういう考え方が、今のゲームの方向性だ。

テレビゲームでいうと、マインクラフトとかも、そういうことじゃん。

マーダーミステリーが流行り始めてるのも、そういうことだよ、きっと。

つまるところ、「ある勝利条件とルールさえ決めてしまえば、僕らはなんだってゲームとして遊べるじゃん」っていう考えが、ゲーム界隈にリテラシーとして広まり始めている。

でもそれ、だからこそ、結構コアな、ゲーム界隈のリテラシーだと思う。

人狼ゲームあたりから始まった、自分自身を駒として使う、っていう最近のボドゲ界隈を追ってるからわかる、ゲームの定義と見せ方。

そういうものの展示が、ここまで話題になって、広まっている。

すごい。

こんならリテラシーが、伝播してるんだよ。

舞台装置だけ置いておいて、なんとなくのゲームルールの端緒を発想させる展示、とか、

既にある生活の一幕にルールを入れるだけでゲーム化させてしまう展示、なんてものもある。

こういうのって、「ルールとゴールさえあれば、なんだってゲームじゃん」っていうリテラシーがあるからこそ、楽しめるし、理解できる。

すごいことだよ。すごい沢山の人もきてたよ。

いや〜、すごい。

本当にすごい。

最先端のゲーム展示でしたね。

こりゃゲームの未来は明るいな。

ね。

結論、もう少し考えようと思っていたけど、こんなんになっちゃった。

しりすぼみ。

でもよくあるじゃん。

ゲームはやってる最中が楽しいでしょ?

終わりに向かうと、続きをやりたくなくなる。

ない?そういうの。

積みゲー的な、さ。

それと一緒、ということで。

ゲームあるあるで終わります、みたいなね。

ダメ?

いいじゃん。

ね?

今回は、さ、ね。

終わるから。

よろしくね。

もしよければ、何卒…