メディアの復権のために
集団は母数が大きくなれば確実におかしな人間が入る確率は増す。今回支持を伸ばした国民民主党支持者層にもそうして先鋭化したものが出るのは遠い未来のことではないだろう。
高市氏の支持者に攻撃的な人間が含まれるというが、ある程度母数が大きくなると一部が先鋭化してしまうのは避けられない。
だからこそ共産党は赤旗を刷り続けるし、不動産収入の方が大きい新聞社は輪転機を回し続ける。
これはガバナンスの問題というよりは、避けることのできない人間の性であると言える。
ここ最近で懸念することといえば、安倍晋三氏の暗殺以降、暴力によって現状の変更を訴えようとする事件やテロの発生である。
マスメディアによる怒りや憎悪は影響が大きく、反権力を訴えればその思想の母数を増やす。
その中での先鋭化が表出した事例が暗殺やテロなどだと考えている。
今後皇室への週刊誌のゴシップが、憎悪へと変換されかねないかと思うところがある。
現状愛子さまの天皇待望派閥と悠仁さまの天皇待望派閥の購読数確保のため週刊誌はそれぞれの皇室へのバッシングとまで取れる記事が書かれる。私の中にそこの母数が増えればより恐ろしい事態になる。そんな恐怖が存在し続けている。
マスメディアは社会の問題に対し、個を映し出し、一方的に広げながら、その問題について考える機会を与えることのできる力をもつ。
一方でSNSは同様の問題に対し、個から発信され、双方向的に発信が行われ、集合知的に問題を解決に導こうとする。
どちらかが優れるわけでもなく、どちらかが正しいものでもない。
それぞれに向き不向きがあり、それぞれに悪い用法がある。
個人の感想としてだが最近のマスメディアでは、多数の個を映し出し、あたかも集団であるかのように映し出し、恣意的な切り出しの見方が広げられているように感じる。
本来の持つ能力を活かしたマスメディアの活動が行われた時にようやく、彼らは信頼を取り戻し、社会の問題を大きく変革できる力を取り戻すことができるのではないだろうか。