5日目*退院の日
「おはようございます。お名前言えますか?」
もうこれで最後、というか、外来に通えば恐らくまた機会はあるだろうが、とにかくしばらくの間は名乗らない日々だ。
今日名乗ることは全然苦じゃなかった。
「山下です。今日は別の担当がいるんですけど、朝食を運ぶ時間までは私が担当します。」
山下さんは、はじめの方にも担当してくださった、若いのにベテラン感ある看護師さん。
「遂に退院ですね。」
「はい、おかげさまで。」
「今何か気になっていること、とか、退院するにあたって心配に思われることとか、ありますか?」
「うーーーん?あ!昨日聞きそびれてしまったのですが、仕事はもう再開しても良いのかっていうこととー、あ、こんな大事なこと聞きそびれてしまってすみません。えっとえっと、それからー、何かしちゃだめなこと?例えばゲームしてもいいのかとか、ですかね。あと、運転はいつまでだめなのか?」
「ゲームは大丈夫だと思います。運転は、少なくとも今の、痙攣止めのお薬を飲んでいる間はしない方が良いです。よくニュースとかで運転手さんが意識を失って交通事故、ってやってると思うんですけど、そういうことが起こりかねないので、、不便だとは思うんですが。」
「そうですね、、とは言っても今は全く運転してないんですけど、なんか聞いておきたくて」
「あ、そうだったんですね。免許はお持ちですか?」
「はい。完全なるペーパードライバーですが」
「そっか、、もし必要なければ今後も乗らない方が良いかもしれません。出血の場所がてんかんの神経のすぐ傍なので」
「そうですか、、」
「お仕事のことは先生に確認してみるので、また退院までにお伝えできるようにしておきますね。」
「ありがとうございます。」
「他には良さそうですか?急な退院なので心配なことだらけかもしれませんが」
「そうですね、退院していいのかな?っていう心配はあります。退院を望んだのはこちらなんですけれども」
「いえいえ、事情が事情なので。それに、後から聞いておけば良かったっていうことが出てくることもありますからね。そういう時には遠慮なく電話してくださいね。」
「ありがとうございます。私、病院がとっても苦手なんですけど、皆さんに良くしていただいて今日まで頑張れました。」
「そう言っていただけるとみんな喜びます」
「リハビリの佐藤先生や持田先生にも、お話できていないのでよろしくお伝えください。」
「わかりました。お母さんが来られるのは13時でしたか?」
「はい。」
「じゃあそれまでのんびり過ごしてくださいね。何かあれば遠慮なく。」
「ありがとうございます。」
「また、後ほど朝食をお持ちします。」
「よろしくお願いします。」
山下さんが退室してから、入院から退院までの日々を思い出していた。
これまで書ききれなかったが、リハビリで作業療法士の佐藤先生と理学療法士の持田先生が来てくれる時間が私はとっても好きだった。
ベッドから離れて、病棟内をお散歩しながらたくさんお話をした。お互いの仕事の話や、資格試験の話がほとんどだったが、人と話せる時間が嬉しくて私は話しすぎるくらい話した。
それを上手に受け止めつつ、同じくらい話してくれた。
リハビリなので、先生方は目的をもって計画書も作ってくれていたが、私にとっては「癒し」の時間だった。
もし入院中、ただただベッドに固定されているだけだったら、症状がなくある程度元気な患者だった私は、心が疲弊してしまったかもしれない。なんならリハビリしつつ臨床心理士もつけてほしいぐらいだった(欲張り)。
ノートや勉強道具、テレビカードも持ってきてもらえて良かった。ん?テレビカード?そういえばまだ残高あるな。使っちゃうか。
私はテレビをつけて午前中を過ごした。
そうこうしていると、昼食の時間になった。
最後の食事だ。
蓋を開けると、ハンバーグだった。
「ええっ!」
思わず声が出そうになった。(出さなかった)
しかし顔はにやにやしてしまっていた。
皆さんは覚えているでしょうか。
そうです。昨日、妹は「今日の夜ご飯は、鮭かハンバーグだよ」と言い残して帰ったのです。
そして昨日の夜ご飯は焼き鮭。
「これは凄すぎる。」
驚き過ぎてハンバーグの味は覚えていない。
1年目の証、ピンクシールの舘さんが「失礼します」と入ってきた。
「退院なんですね。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。昨日きれいにしてもらったのになんだか申し訳ないです。」
「いえいえ、きれいにしてから退院で良かったです。」と舘さんは微笑んだ。
「あの、お仕事の再開についてなんですが、」
舘さんが話を続ける。
「次の外来まで1人での外出は控えてほしいそうで、それまでお仕事は」
「あー、やっぱりだめですか」
「ですね、、ごめんなさい。」
「いやいや、仕方ないです。」
「なのであのー、試験も」
「あ、それなら母と、なぜか妹もついてくるみたいなので(笑)、なんとか。」
「それは安心ですね。試験頑張ってください。」
「ありがとうございます。舘さんも、仕事、うーん、程々に、って言って程々にできる仕事でもないんだろうけど、」
「はい。ありがとうございます。程々に頑張ります。」
13時になり、母がやってきた。
退院の手続きは舘さんが先輩ナースさんに見守られながら説明してくれた。
退院の説明をするのは初めてなのだろうか。緊張が伝わってくる。ひとつひとつ丁寧に説明してくれている。そしてちょくちょく先輩ナースさんのフォローが入った。
舘さんは私の身も心も洗い流してくれた看護師さんなので、たとえ練習台だとしても良かった。むしろ、たくさん関わった人に見送ってもらえるのはどんな形であれ有り難いし、一生懸命で、言葉は適切でないかもしれないが可愛らしかった。
私も、きっと母も、全然立場が違うのに先輩ナースさんと同じように、頑張る舘さんを見守った。
説明と持ち物の確認が終わり、私と母は「ありがとうございました。お世話になりました。」と挨拶をし、部屋を出た。
ナースステーションで母が会計の手続きに必要な書類を先輩ナースさんから受け取った。
その間、舘さんがなぜかウルウルした目でこちらを見ているので、こっそり「がんばってね」とジェスチャーした。舘さんはうんうんと大きく頷いた。このままではなぜか私も泣いてしまいそうなので、にこっとして少し目を逸らした。
書類を母が受け取ったので、また舘さんに目を戻し、「ありがとー」と言って、ばいばいと手を振った。舘さんも手を振ってくれた。
そして約5日間を過ごした集中治療室を後にした。
その後は会計待ちの間に仕事関係の各所へ連絡を入れた。皆さんから「絶対安静」を主治医の渡邉先生よりも強く指示された。温かい。
退院したら思いきりジャンクフードを食べたい。と、思っていたが、病院食で体に優しいものばかりを食べていたので、いきなりお腹に入れるとびっくりするかもと考えた。
そこで、帰りにスタバに寄ってもらって母に抹茶クリームフラペチーノを買ってもらうことにした。あんな前置きをしておきながらまあまあのジャンクフードである。
甘いものが苦手な私は、フラペチーノが飲みきれないので数年距離を置いていた。
抹茶クリームフラペチーノのホイップ抜き、トールサイズを飲み、「なにこれ美味しい、、」
なんで以前は飲みきれなかったのだろう?久しぶりのフラペチーノ、最後まで美味しくいただいた。
こうして私は、しばらくスタバを見かける度に抹茶クリームフラペチーノを飲むことに(もはや入院とは全く関係ない)。
ちなみに、ミルクを豆乳に変更してもらって、ホイップ抜きというのがお気に入りである。
これで、脳出血を起こしてから退院するまでのお話は終わり。
これからどうやって書いていくかは少し考え中です。一旦まとめを書くか、その後の日記をこのまま書き続けるか、次に書くときの気持ちで決めようかな。
たくさん読んでくださっている方、たまたま通りすがりで読んでくださった方、皆さまありがとうございます😊
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