4日目*退院が決まった
渡邉先生のところへ行くと、「どうですか?」と聞かれた。
「元気です」
と答えると「そうだよねえ。痺れたりとか変わったことない?」
「ないです」
「と、いうわけなので退院しましょうかね」
渡邉先生はモニターにCT画像を映した。
出血箇所は白く映っていて、先生は「小さい」と言っていたが、私には大きく見えた。
「はっきりとは特定できませんが、恐らく生まれつきこの海綿状血腫というものがあったと思われて、今回そこが詰まって出血に至ったわけです。」
母はメモしながら聞いている。
「今、飲んでいるお薬が原因かと思われましたがそうではないようなので、その薬は飲み続けてもらって差し支えないですね。」
「自己免疫系にも問題はないです。ただ、もともとこの病院に通われるきっかけになった病気がありますよね?もしかしたら関係してるかもしれないし、していないかもしれない、つまりはっきりとした原因はわかりません。」
「で、痙攣を起こしやすい神経の近くで出血しているので、なるべく疲れないようにしてほしいということと、寝不足はだめです。」
「出血を繰り返したり、この血腫が大きくなったり、そういうことがあれば取り除く手術が必要になりますが、ひとまずはこのまま経過観察を続けましょう。」
私は、「勝手に出血して勝手に止まったってことですか?」と尋ねた。
渡邉先生は「まあそうですね」と答えた。
続けて、「予防はできないですか?」と聞くと、「今回も前兆がなかったということなので、まあいつ倒れるかはその時になってみないとですね。」と返ってきた。
「だからしばらくは付き添い無しでの外出は控えるようにしてください。当然、県外での試験にもご家族に付き添ってもらうように」と先生は付け加えた。
「本来であれば1〜2週間は入院して経過観察のところを、事情が事情なために外来での経過観察に切り替えるということなので」とも補足した。
母が、「あのー、一時外泊っていうのはだめですか?」と聞くと先生は「いやー、県外に行かせるなんて、そんな一時外泊はありませんね。」と言った。
私たち親子は「そりゃそうか」と思った。
「行くなら、責任を持って退院してください。」
「わかりました。」
「異変を感じるようなことがあれば無理せず、電話でもいいのでね、相談してください。」
「ありがとうございます。」
「じゃあ、明日退院ということで、詳しい時間などは看護師と相談してください。」
「はい、ありがとうございました。」
「お大事に。」
渡邉先生は、「飄々としている」感じで掴みどころがない。言葉もあまり選ばずはっきり伝えてくれるのでわかりやすい。
はじめは冷たそうだと感じたが、かけてくれる言葉は優しいし、私の言葉や家族の言葉も覚えていてくれている。
だから安心して聞きたいことがたくさん聞けた。
母に「えらいね、自分で色々ちゃんと聞けて」と言われた。母のこういうところが私は時々苦手だ。
外来の受付の看護師さんに、もう病室に戻って良いか聞くと、念のため病棟ナースに確認するとのことで電話をかけてくれた。
「お迎えに来るって。ここまで来るのもスタスタ歩いてたし、お母さんと戻ったって全然問題なさそうなのに、ピンクシールさんがお迎えに来たいんだって!」と受付の看護師さんが話してくれた。受付の看護師さんの名札を見ると、ここの診療科外来の看護長さんだった。
これからもあまり気負わず外来に通えそうな気がした。
高橋さんが迎えに来てくれて、退院が決まりましたと話すと「おめでとうございます!」と一緒に喜んでくれた。
病室に戻り、相変わらず私には機械が装着されたが、気分は高揚していた。
母は看護師さんと退院の打ち合わせをして帰った。
私は母が勉強道具を持ってきてくれたので試験勉強をしたかったが、気分が高まっているのでなかなか集中できなかった。
夕方になるといつも通り父と妹がやってきた。
「退院だって!」と言うと「良かったな」と父は言ったが、「でも試験を受けに行くだけだから、県外だけど観光なんか絶対だめだ。試験受けたらさっさと帰ってこないと」と、相変わらずこれでもかというくらい釘を刺す。
「わかってるよ。でも嬉しいでしょ」と言うと「何を言っとる」と流された。
妹は「今日は鮭かハンバーグだと思う」と、恒例の夜ご飯予想を述べた。
「昨日は鱈だったよ」
「惜しかったねえ。じゃあ今日はハンバーグだ。それか鮭!」
「さっきと言ってること変わってないよ」
そうこうしているうちに15分経ってしまったので、父と妹は退室した。
「夜ご飯お持ちしました。お名前お願いします。」
名前を名乗って「いただきます」をして蓋を開けた。
焼き鮭だった。
「ふふっ」
早く妹に言いたい。
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