終わるのだ、それは確かに
はてなブログの方でも平成最後の記事、ということで本日アップしましたが、noteでも同様の記事を書いてみます。はてなとはできるだけ内容がかぶらないようにしますので、はてなの方を読んでくださった方もよろしければお付き合いください。
はてなではフィギュアスケートやブログの話が中心だったので、noteでは印象的だった平成の出来事でもいってみましょうか。
まずは阪神大震災でしょうか。実は地震発生時は起きて勉強してました。地震だ、結構揺れたな、とは思ったけど、ネットのない時代、まさかそんな大変なことになっているとは思わず、学校で「神戸の方が大変らしい」と先生から聞いてびっくりした記憶があります。6歳まで兵庫県民だったので、余計に…。
兵庫にいた頃に遊んでもらっていたお姉さんは激震地にいたらしいけど、引っ越しの手伝いのためにいたので、部屋に何も無くて助かった、という話を親から聞いた覚えがあります。ああ、こういうことが運命を分けるんだ、と子供心に思いました。
その直後に起きたオウム事件も忘れられない。もし、オウム事件のなかった世界の私に「別世界で起きた事実だよ」とオウム事件を教えても、「それよくできた映画でしょ?」くらいにしか思わなかったかもしれない。でもあれは、現実だった。
あの頃はちょうど20世紀も終わる頃だった。だから終末感が漂ってたかもしれない。氷河期で若者の未来は暗かったし、バブル崩壊の影響はそこかしこに感じたし、相次ぐ災害に世間を震撼させる宗教団体の事件。おまけに20世紀が終わる。ノストラダムスの大予言。知らない人なんていなかったんじゃない?心のどこかで地球は滅びるんだと思ってた。滅びなかったけど。
「あんなに終末感に溢れていたのに結局世界なんて滅びない」とある種の中二病に皆でケリをつけたのが、平成の初期のメインストリームだったような気がする。一定の年齢以下の層だけかもしれんけど。
よく考えなくても、今生きている人々の大半が、22世紀を迎えることはないんだよね。ある意味自分の人生でいちばん大きな時代の節目があの時だったんじゃないかと思う。
滅びることなく21世紀になった世界は、当たり前のように続いていったけど、私には世界から振り落とされそうになる出来事ばかり、集中攻撃みたいに降り注いできた。
目立たず、騒がず、普通に、平凡に生きようとして、それを掴んで安定したと思っては、激流に振り落とされていくような日々だった。結局激流に飲まれたまま平成は終わろうとしている。もう流されるまま。考えるのに疲れてしまったのだ。
世界は滅びなかったけど、当たり前だったものはどんどん終わっていった。『笑っていいとも』が終わるなんて、子供の頃には考えたこともなかった。平成の終わりにSMAPがもういないなんて、想像すらしていなかった。
カープの25年ぶりの優勝も忘れられない。「勝てないのが当たり前」とどこかで皆諦めていたカープが、四半世紀ぶりにリーグ優勝するなんて。信じられなかった。あの時の広島の浮かれた空気は熱くて、そして幸せが溢れていた。そしてまさかの三連覇。万年Bクラスだと揶揄されたカープは、平成の終わりにはもういなかった。
オバマ大統領の広島訪問も印象深い。これで本当に、戦争は終わったのだと思った。広島に関係が深い人間には特に大きな出来事だったのではないだろうか。
そして天皇陛下が本日退位された。すべての人類が生まれて初めて目にするはずの退位の儀式を、時代の節目として覚えておくだけのつもりだった。この厳粛な雰囲気を覚えておくだけのつもりだった。
儀式はきっと、ものすごく細かいことまで決められていたのだろうし、淡々と厳粛に進んでいた。しかし、松の間を退室される前、天皇陛下は立ち止まった。皇后陛下を待っておられたのかもしれない。ぐるりと松の間を見渡すようにその視線は動き、最後に頭を下げて、天皇陛下は部屋を出て行った。
おそらくすべてが規定通りに進んでいた儀式なのに、そこだけ、そこだけ突然天皇陛下の想いが出現したように感じて面食らった。あれは予定にあったのだろうか。
その姿は、誰にも代わりのできない役目を、たった一人でその肩に負い続けた人にしか出せない気品と威厳に満ち、そしてその役目を終えた人の、万感の思いのように見えた。世が世ならば姿を見ることすら叶わなかったであろう天皇陛下が、ただお一人の、情に溢れた人間だったこと、それが最後の最後に、時代が終わるという実感とともに伝わってきた。
まさか泣くとは思わなかった…。これを書きながらも泣いてしまった。淡々と時代の節目を見届けるつもりだったのに…。どうしようもなく胸を打った。本当にありがとうございました、それしか言えない。母が若い頃、天皇皇后両陛下にお言葉をかけていただいたことを何度も自慢の種にしてます。母に生涯の思い出をありがとうございました…。
さて、最後にはてなでも書いた話を。平成最後に1曲聞くなら、私はSMAPの『夜空ノムコウ』を選びます。二番が好きなんですよ、二番がね。「万能感」を抱く子供だった我々が立っているその場所は、たぶんこの歌の中にあるのです。
で、令和の最初に流すなら土佐おもてなし海援隊の『維新回天ambitious』と『あしたのために』。もうね、テンション爆上げです。もて海!
平成から令和に変わったって何かが変わるわけじゃないだろうけど、そんな形から入るセンチメンタルとハイテンションもあっていいんじゃないかしら。世界は滅びなかったから、私の中二病も滅びなかった。やれやれ、困ったものですよ。
SMAPももて海ももう「いない」けど、こうして音楽は残っていくのですね。歌を口ずさめば心にその人の物語が生まれる。そうして誰かが覚えている限り、確かに彼らは存在したんだよ。いつか「SMAPって何?」と若者に聞かれる時が来ても。
すっかり長くなってしまいました。私は平成最後の日も人間と言葉を交わすこともなく、雨の日暮れを見つめて過ごしました。平成最後の日も、私はいつもと同じように世界と切り離されたどこかにいるのだろう。令和最初の日もきっと同じ。ただ日々は流れていくだけ。あの時世界は滅びなかったけど、私の世界だけは滅びてしまっていたのかもしれない。ずっと気がつかずにいたのかもしれない。
おなかすいたな。よし、これからミロの粉を平成最後の晩餐にします。家にある一番甘いものがミロの粉なんだ…。あとは米くらいしかないや。ひー。本当にどうしようもないまま終わったなお前!
皆様の平成最後の1日が、穏やかなものでありますように。
平成の間、つたない様々にお付き合いいただきありがとうございました。明日からも淡々と更新予定です。明日も来てくれるかな?って振っても通じない日が、すぐそこまで来ているのだろうね。
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