招待状に紅茶の移り香

「春輔、風邪を引きますよ」

窓を思いっきり開けて雑踏を眺めている青年に、カウンターの奥から眼鏡の男が声をかける。

「換気だよ、換気。それに俺、風邪なんて引かないし」
春輔と呼ばれた青年は気にする素振りも見せず雑踏へ身を乗り出していたが、どうやら飽きてしまったらしく、パタリと窓を閉めた。

「なあ、この店こんなに暇で大丈夫なのか?」
春輔はつまらなさそうにメニューをいじる。薄い色の瞳は、暇をもて余している、と眼鏡の男に訴えかけていた。
「いいんですよ、これで。この店は必要とされる人にだけ使ってもらえたらいいんですから」
「よくそれでやっていけるよなー。だから俺のバイト代上がらないんだろ」

「お前に何でバイト代がいるんだ。ただの食客のくせして」
涼しい顔立ちの男が扉のベルを鳴らして店に入ってくるなり、春輔に悪態をついた。

「ああ、貴秋。お帰りなさい」
「貴秋、お土産はー?」
悪態をつかれても、春輔はどこ吹く風である。

買い物袋から、貴秋は何かを取り出して春輔に投げつけた。
「お前はそれでも食ってろ!」
「何だよこれ、朱夏の煮干しじゃんか。プロ野球チップス買ってきてくれって言ったのに」
「小学生かお前は!いいから朱夏と遊んでろ」

煮干しの匂いを嗅ぎ付けて、店の隅で丸くなって寝ていた朱夏が春輔の膝に飛び乗ってくる。長いしっぽをゆらゆらさせて、にゃあにゃあと話しかけるように春輔の顔を覗き込む。
「よしよし、ちょっとだけだぞ。あ、これうまい」
「何でお前が食ってんだ!」
「それでも食ってろって言ったの貴秋だろ」
「誰がホントに食えと言った」

「はいはい、その辺で。貴秋、いいイチゴは買えました?」
呆れたように笑いながら、眼鏡の男が厨房から出てくる。
「ああ、すまん。3パック、買ってきたぞ」
「良かった、これでケーキの仕上げができますよ」
「冬二郎としたことがらしくないミスだな、イチゴ買い忘れるなんて」
「それが、頭の黒いネズミがいましてね」

二人の視線は、朱夏を膝に乗せて軽く遊びながら煮干しを与えている春輔に集中する。
「気のせいだよ」
春輔は悪びれもせずに答えた。

「お・ま・え・なあ…」
両のこめかみを容赦なく攻撃する貴秋の拳を必死で払いのけようとしながら、春輔は痛い痛いと大騒ぎである。
「ごめん、ごめんってば。だってしょうがないだろ、うまそうだったんだから」
「お前は何でそんなに食うんだ。成長期なんかとっくに過ぎてるだろうが」
「知らねーよ。腹が減るんだからしょうがないだろ」

冬二郎は二人の喧嘩を、買い物袋から取り出した品物を確認しながらしばらく眺めていた。やれやれ、二人とも大昔に小学校は卒業したはずですけどね。

「さあ、貴秋。そろそろ準備しましょう。あんまり遊んでると予約の時間になっちゃいますよ」
チッ、仕方ない勘弁してやるか、と春輔のこめかみから手を離し、貴秋は洗面台に向かった。

「ある程度は仕込んである。あとは好みを聞いて臨機応変に、というところかな」
「貴秋ってムカつくけどメシだけは信じられないほど美味いよな」
「お前の分はないからな」
貴秋がつれないので、春輔は冬二郎に話しかける。君の分はまた別に作ってあげますよ、という返事に春輔の顔がぱあっと明るくなった。
さすが冬二郎、と朱夏を撫でながら春輔はうんうんと頷く。
「冬二郎のスイーツは絶品なのに、どうしてあんなにチャーハンとかオムレツとか不味いんだろうな」
「それは同意だが一言多いぞ」
貴秋に睨まれると、春輔は、お前だってさりげなくディスってるじゃん、とボソッと呟いた。


イチゴの甘酸っぱい香りが、ほんのりと広がる。

今日、何のパーティだっけ?と誰にともなく春輔が尋ねる。
「お誕生日のお祝いと、お仕事お疲れ様の労いと、サポートへの感謝の気持ち、と仰っていましたかね」
ケーキをイチゴで彩りながら冬二郎が答えた。
「じゃあ、ギター弾いて歌うよ、俺」
「歌ってくれって言われたらな」

店の隅に立て掛けてあったギターを手に取ると、春輔は弦を弾いた。音が震えて、店の壁でボールのように跳ね返る。
「歌って楽しいじゃん。言葉がすれ違っても、歌は届いたりするだろ」
「歌ってくれって言われたら、だからな」

電話が鳴った。

「はい、Four Seasonsです。ああ、ご予約の…。それはご丁寧に、ありがとうございます。人数の変更は無しですね。あの、店に猫がいますけど、もし気になるようでしたら…」

厨房から、鼻孔をくすぐる幸せの匂いが満ちる。
俺、歌ってもいいかな?小声で春輔が呟く。

「はい。いえいえ、ありがとうございます。
では、お待ちしています」
冬二郎は笑顔で受話器を置いた。

「さあ、そろそろお客様がいらっしゃいますよ」



扉がからん、と音を立てる。

この扉は、あなたのために開けた、ささやかな物語の扉である。




この短編は、主にnoteにサポートくださった方々に向けて、そしてもし読んでくれていたら、これまでに助力してくださった方々に向けて、書いた物語です。
小さな店ですが、紅茶とスイーツは絶品ですし、料理担当が留守にしていなければ絶品のランチも召し上がっていただけます。猫が苦手なら、どうぞお知らせください。
今の私には本当にまったく何もお返しができませんが(冗談でも何でもなくサポートのおかげで命が救われました…)、書くことだけはどうにかできます。せめて小さな物語でもてなして感謝を伝えたいと思い、これを書きました。私からの逆バレンタインでございます。ほんの少しだけでも、くつろいでいただけたら幸いです。
…え、バレンタインとかウザい?ああああ、それは申し訳ない(泣)。しかもチョコが出てこない(笑)。

ちなみに、ピンときた方もいらっしゃると思いますが、あの喫茶店です。あの喫茶店の話は、ちょうど紅茶が美味しい店っていう設定だし、コンテストの機会でもないと世に出さないだろう、と思って頭の中にあった話の一部を切り出してみたもので、プロトタイプだと思っていただければ。本当はこの通り、3人いたしちゃんと名前も付いてました。
プロトタイプの方はまあ闇に葬って、改めてまた3人の喫茶店の話がどこかで書けたらな、と思ったり思わなかったりです。イメージはあるんだけど、面白く読んでもらえるように書ける自信がない。向いてない気がする。自分の頭の中だけでキャラクターを遊ばせてるだけの方がいいのかもしれない。時々こうやってでしゃばるかもしれないけど。


皆様のサポートに、心から感謝しております。どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。

では、お客様、くつろいでいってくださいませ。デザートはイチゴのケーキです。ご迷惑でなければ、歌も歌いますよ。




はてなブログも毎日更新中。現在はほぼフィギュアスケートの記事とはてなのお題記事を淡々と書き続けるブログ。それ以外の内容を気まぐれに書くためにnoteを始めました。
はてなは毎日続けて2年と少し。今月はぶっちぎり過去最高のアクセス数を記録してちょっと賑わいました。皆様もお気軽にお越しくださいね。
はてなブログはこちら→「うさぎパイナップル

気に入っていただけたなら、それだけで嬉しいです!