魔法の兵隊の足音

大都会の駅は広過ぎて、小さな街の片隅に息を潜めて暮らす自分には、英雄の脱出を拒むダンジョンのようだ。

新幹線の出発時刻を1時間間違えていたことに気付いて、構内の喫茶店の椅子に力なく身を預けた。少し値の張るサンドイッチの味も、舌の先をからかうように掠めて過ぎ去っていく。瞳の周囲を赤く染めた、塩分の多い液体の流れ落ちる跡もそのままの虚ろな女も、客である限りは人間として存在していられる。

ゆらりと店を出た。ほんのしばらく歩いただけで、さっきの喫茶店の位置がもうわからなくなる。24時間稼働し続けるベルトコンベアのように大量の人間が駅を流れていく。
足元がふわふわする。子供が遊ぶ巨大な風船の中を歩いているような気がしてくる。それでも、自分の足元もまた、自動的に流れていくベルトコンベアの上に在る。


雑貨を扱う店舗の前で、ふと立ち止まった。可愛らしい動物をモチーフにした雑貨は、粉々に砕けた心にも優しく染み込む。
ベルトコンベアの方向が、ガシャンと音を立てて変更される。

虚ろな瞳がそれを捉えた。躊躇い、躊躇って、手に取った。勝手に潤んでいく瞳に乾くように命じながら、手に取ってしまった。

ナニヲヤッテイルノ。オマエハナニヲヤッテイルノ。
ソンナコトハヤメナサイ。イミガナイカラヤメナサイ。

頭の何処かにいるらしい操縦士が、忘れてしまった言葉を必死で思い出しては命令を出すけれど、残念ながら片言だった。だから砕けて壊れた心には伝わらない。

プレゼントですか、と尋ねる声に、首を横に振りかけて、はい、と答えた。簡単な包装になりますが、とカラフルな袋にシールでリボンが貼り付けられる。お礼を言って受け取ろうとしたけれど、接着剤で固めたように口元は動かなかった。幽霊が買い物に来たとでも思われているかもしれない。


「プレゼント」を胸に抱えるようにして、新幹線のシートに腰を下ろした。流線形が滑らかにホームを飛び出して行く。
ばらばらに砕けて散らばった心の破片を、拾いきれずにいくつも都会に残したままで。

右の頬を撫でるように、ビルが、道路が、川が、山が、通り過ぎる。振り返る暇もないまま、遥か後方に置いていかれる。
両の頬を殴り付けるように、瞳のダムは決壊する。頭の何処かにいるらしい操縦士が無線機に怒鳴っているのに、無線機の向こうはその言葉をもう理解出来なくなってしまっている。

身体を貫く冷たい眼差しは、あまりにも深く食い込んで抜けることはなかった。突き刺さったその傷口からどす黒い血が吹き出し続けて、些細な車体の揺れにも猛烈な痛みを容赦なくもたらす。
実体の無い傷口の代わりに、決壊したダムから透明な血液が溢れかえる。

ささやかな、ささやかな情熱に、突然鳴り響いた終幕のベル。
ほんの些細な綻びが、ベルのスイッチを押してしまった。
あの瞬間に戻れたら、すべてを引き換えにしてでもそう願ったけれど、時計の針は1秒だって巻き戻ることはなかった。

痛みに耐え切れなくなって、「プレゼント」を抱き締めた。
封を開ける。透明なプラスチックのカバーと台紙の間から、魔法の兵隊が歩いているかような鈴の音がこぼれ落ちた。

柔らかい布で作られた、生まれたばかりの命がその手に握りしめるための道具。
遠い、遠い昔に、何も知らないでいられた頃に、きっと自分の手にも握られていたもの。

渡せるはずだった、プレゼント。
まだ、すがりついていたかったから。未来に、希望に、すがりついていたかったから。
誰も自分を知らない、気にかけることすらもない都会の隅でなら、誰にも気付かれない。とがめる者は自分しかいない。
ありもしない未来を見つめるあまりに、虚無に対価を払ったとしても。


渡そう、あの子にこれを渡そう。だから、生きていなきゃ。
いつかまた、会えるかもしれないじゃない。あの人が目の前から消えてしまっても。
あの人とは歩けなかった道とは別の道の先に、あの子はいるのかもしれない。

虚無が囁く。
魔法の兵隊の足音。ひとつ、ふたつ、みっつ、膝に落ちる。


愛されてもいない人間の、存在すらしない未来の命のために、贈り物を買う。

壊れてしまった心を乗せて、誰ひとり待っていない小さな街へ、流線形が飛んで行く。


(※少しだけあとがき:タイトルは「バッドエンド」にしようと思ったのですが、この主人公はそれを認めていないので、やめました…。)

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