通過点を認める〜ストーリーの途中〜
結果が全て!という考え方がある。
わかりやすくスポーツの試合に例えたら、9回までどんなに抑えていようとも、最後に逆転ホームランを喰らったら負けは負け。はい、それでおしまいです。…っていうやつです。
まあ、世の中の仕組み的には大体この考え方ですよね。ある目的があって、期間の決まりもあって、そこに最後に達成できたかどうか、それが評価の対象。○か✖️か。
でもさ、プロセスっていうか、途中のポイントも認めてもらえるとすごーく嬉しくないですか。
まだ結果には辿り着けてないんだけど、ああこういうふうにやってるんだね、とか、お、ここを目指してこんな工夫してるのか、とか。そんなことだけど。とても励みになるっていうか、元気が出ると思うんだけど。
いや、もちろん、その努力も工夫もさ、結果的には✖️になる、ってこともあります。だけど、途中を見てもらえていて、そのうえでの✖️と、結果としてそこにあるものだけを見て✖️を喰らうのとでは…次に向かう気持ちがずいぶん違う気がする。
【「記録」に残る試合より「記憶」に残る試合を 】 なんていう言い方もあるように、途中のストーリーってかなり大事だと思うわけですよ。
過去の失敗もね、あれがあったからこうできたなとか、ああいうことしちゃったからこう変わったんだとか、プロセスの一つだったなあって思い至ることがいくつかあります。【通過点】として認めてあげていいと思う。
そういう視点をでみると
今この人、何しようとしてる途中なんだろう?どこに行こうとしてるんだろう?
とか
自分自身はどこに向かう途中で今こんなことしてるんだろう、
って、みんなが物語の途中にいる(かならずハッピーエンドね)のがわかって面白くなってきちゃう。
それを言ったら、どんな「結果」もみんなストーリーの途中のものにすぎないことになるんだけど。それもまた、面白い。自分のお話はそうやってずっと続くんだから。