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正しく怖がろう、難しいけども

マスクをしない美人の話を書いたけど、その席に現役の医療関係者もいて。

「医療崩壊寸前」というのは本当だけど、マスコミが流すものとは内容が違うとのことだった。重症な患者がベッドを埋めていて休む暇がない、とか、コロナ感染のリスクに身を晒しながら働く辛さ、とかいうことではなくて。そしてそれは、患者として病院で暮らした私自身も「こりゃ、医療関係者はたいへんだわなあ」と感じた、静かで地味でストレスフル極まりない辛さだった。

どんな内容かを、ここでは書かない。…くやしいけど、やっぱり私はアホらしいよなあ、と思いながらも、マスクをして外に出るいくじのない「多数派」だからだ。灼熱の昼の東京でマスクを外して歩いたところで、感染リスクがどのくらいあがるというのか。熱中症の危険の方が遥かに高いだろうを思う。…でも私はマスクは外さないよ、みんながそうしているからね。

情けないけど、きっとこれがこの100年くらいは日本で安全に生きるやり方だった。「みんなに合わせる」

今、これが壊れかけてきている。「みんな」が一色ではなくなっているからだ。

そうは言ってもテレビは面白い、テレビが言ってるんだから…という世代もいる。テレビなんて全く観ないという若者もいる。ネットはいい加減だから怖いと怯える人、ネットとテレビと新聞とどれが正しいの??と迷う人。ワクチンは怖いという人、ワクチンをしないなんて社会的な責任放棄だというひと。誰が正しい?何が正解?だれにもわからない。


その医療関係者は言っていた。「コロナは怖いけど怖くない」「どうか、正しく怖がってください」

うん。アバウトな言い方に聞こえるけど、これが全てだと思う。ここでいう正しく怖がるの「正しく」は、「自分のものではない恐怖に踊されないで」という意味だ。

わからないものはこわいよね。

だけど、

何億何万年も時速1700キロのスピードで回転しつづけている地球っていう乗り物に知らないうちに乗せられているなんて、怖くてしょうがない!って怯えることはアホらしいと思うでしょう? 怯える価値があるかどうか、怖がって意味があるものかどうか、どうやって怖がったら一番いいのか、そこから考えようってことです。


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