『いつだって、はじまれる。』公演アンケート
いただいたアンケートの中で、許可を得ているものを公開いたします。
アイドルの自己開示が進んだのが2010年代のトレンドだったと思う。
テレビの力が弱まり、高嶺の花であったアイドルがSNSの普及、地下アイドルの勃興で距離感がどんどん近くなっていった。アイドルが自身の弱さや暗い過去を開示することが出来、弱者男性は親近感を覚えたり、自分がいないとダメだとマウントに近いような感情を刺激するようになって小さなコミニティがどんどん出来上がってきた。
でんぱ組。incの「W.W.D」では、以下のような歌詞がある
こういう自己開示が、新しかったのが2013年。10年前である。
ヴィレヴァンを模した装飾はサブカルチャーを連想させる。
アイドルとのサブカルチャーの親和性は2013年、クイックジャパンの表紙がももクロで、裏がBiSの全裸写真だったことからも明らかだ。
“多様性”が声高に叫ばれるようになる前から、“多様性”を勝ち取るためにアイドルの先人たちは戦ってきたと思う。
そんな2010年代を知っているからこそ、現在、多様性が免罪符のようにまた個性のアピールとして使われて食傷気味になってきているのが、今のアイドルカルチャーである。
そんな中、「多様性」「アイドル」「ヴィレッジヴァンガード」を記号化して、2023年、現在、作品を作っていることが、とても古く感じてしまった。
これが、2018年の設定であるなら、もしくは2018年に見たとしたら、とてもわかるなぁと思うし、とても良い作品だし、すごく好きな作品と思えたと思う。
ただ、2023年に、おそらく無自覚に5年〜10年前のヴィレヴァンを再現してるのがとても違和感を覚える。
それはおそらく解像度の話だと思うし、気付く人は少ない。
作品自体は面白いし、これに悩む瞬間、アイドルがそういうことを告白するショッキングさは確かにあった。でも、それは確実にコロナ前。2010年代後半の話。
「花束みたいな恋をした」が大衆作品として世に出たように、もはやサブカルチャーが死滅した現在に、この作品が世に出る意義とはなんだろうなと思ってしまった。