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25歳

自分は前から25歳になったら死のうと思っていた、
本当はもっと早くて20歳の予定だった。
流石に20歳の時はもう少し人生頑張りたいって
楽しいって思って、次は25歳かあって、
なんとなくキリが良いから、ばかでか希死念慮のせいとか、そういう理由だった気がする。

今年の春、数年ぶりに同じ希死念慮を持っている友達と連絡を取り合うことになった(Xの鍵垢に自分がずっとリクエストを通していなかったのだ)
そんな彼に、突然なんで25歳なの?と訊かれ
確かにはっきりとした理由はなくて
ハッとしてしまった、なのでつい、
あっ今年でもいいな、7月頭とか、一緒に死ぬ?
って言ってしまったのだ、これが後々呪いになる

今年の6月半ば辺りまで身辺整理と終活という名の思い出作りでかなり毎日躁転してた自分と、

6月半ばの結果的に彼にとって最期となるライブまでは、彼も躁状態だったと思う、そこで彼から死ぬのをお互い無期限延期にしないか?と訊かれる、その時はまだ死ぬ覚悟は揺らいでなかったので、微妙な気持ちで適当に答えたと思う、その後結局2人とも7月は乗り越えられてしまうんだけれども。

6月末その当時よくスペース開いていてその友達たち(全員高校の同級生)と夜に線香花火したり朝まで寝ずに謎解きしたり、1人だけpc持参してて一番やりやすそうで笑ったし、そのまま仮眠して美術館と博物館に行ったり、途中で寄った吉野家で2人前くらい隣で食べるしその後スマホ置き忘れたり、夕方はカラオケ行って最後の締めに若者のすべて歌ったり、全部楽しかった。

人生終わらすには最高かも、ってなっていたと思う。

7月を乗り越えてから、彼に祖父の会社を紹介したり生活費を少し貰ったりした、それでお互い生きる方向に進めればなと思っていた。

自分は彼にとってただの友達に過ぎないと思うけれどそれでも自分にとって大事な友達であって、環境を救う手助けをしたかった、彼がそうしようとしてくれたように、どんな関係性であっても亡くなってしまうのは悲しい、助けてあげたかった。

8月鬱転して自分に余裕がなくなってきて、彼からのSOSにも鬱陶しさを感じてしまっていた、嫌いにはなっていないのに、直接話せばよかった。

8月19日Xに練炭自殺を図っている彼の投稿と直前までのやり取り、最後に電話をかけてくれていたのに出れなかった自分の情けなさ、少しでも心のどこかで今回も大丈夫って思ってしまったこと、ずっと悲しい、ごめんなさい、罪悪感で喉がずっとしまって、この1週間は苦しかった、何より訃報が伝わってくるまでの3日間、ずっと、通報しようとしたこと友達に相談したこと後遺症が残っていたら、とか生きていたらいつ返信が返ってくるんだろうとか、色んな気持ちが渦巻いていて吐きそうだった。

気持ちの整理がつかないまま、お通夜へ行き彼との顔合わせ、あまりにも綺麗でただ寝ているだけのようで、一層悲しい気持ちになってしまった。
7月も8月も、もっとちゃんと彼の気持ちに寄り添えることが出来たら、今でも考えてしまう。

25歳なんてどうでもいいし、もう24歳になったよ、ねえ秋になったら一緒にライブ行こうねって約束してたじゃん、また冬になったら今度はドラム叩いてみてもいいかなって思ってたんだよ、手紙書いて!って言ったのに字が汚いからって書いてくれなかったの根に持ってるよ、

ここからは、自分の話で、
うつ病の人間はいつ死んでしまうか、
本当に分からなくて、急に今いけるって
思ったりもする、
ただ、残された人間への代償が大きすぎるし、
きっと手続きとかにも
追われてしまうんだろう、
だから、自分は少しでも色々終わらせてから
計画的に実行したいなと、

でももう自分は6月に終活は終わらせてあって、
やることといえば、本当に死ねるかどうか
なんだけど、
彼の死にふれて、やっぱり
現況を救いきれないのであれば、
一緒に死んであげることが出来たらな、と
本気でおもっているしそれがいま
自分の中で大きな後悔となっている。

夏に練炭はちょっと暑いしなあと思っていたし
冬に死にたいなあ、と漠然と考えている。
それまでは使った金銭を働いて稼いで、
たまに美味しいもの食べたり出来たらいいな、
阿智村にも行きたいな、

今年の冬か、来年の冬か、
まだ分からないけど、これは衝動的ではなく
計画的に、ちゃんとなるべく迷惑がかからないように
自分のやることを終わらせたいな、

25歳までにちゃんとしぬから、一緒に死ねなくてごめんね、許してね、

本当に最後の花火にしてどうするんだ、

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