何でもかんでも“UX”と言うのをやめる—Design for UX
解釈は人それぞれなのかもしれませんが、この業界には何でもかんでも“UX”を付けたがる癖があります。私はこの流行りには乗らずに物事を分けて考えてみたいです。
言葉の定義と解釈など
ユーザーインターフェイス(UI)の設計を表す言葉に関して、それをわざわざ「UX〜」と言い換える事例が国内外問わず多くあり、本来この“UX”と呼ばれるはずのものがどこか蔑ろにされているようにも感じられます。言い換えの例としては次のような具合です。
“UX”という言葉がバズワードになり、Xの文字がどこかかっこいいからと既存の“UI”の語句をただ言い換えているだけのように感じられることもあります。実際のところ、「UX〜」と表記されている言葉の幾らかについては『それってUIの話ですよね』とツッコミを入れたくなるような例もあります。
さて、私はUXと呼ばれるものは次のような解釈で捉えています。
要するに、ヒトが何かをおこなった際の過程だとか結果だとかの主観的なアレやコレをまとめてUser Experienceと名付けたのだと解釈しています。これは個人的(ユニーク)なものなので、100人いれば100つのUser Experienceが存在するものと考えられます。
なお、黒須正明氏のUX原論では、UXの暫定的定義として次のように表しています。
このほか、UXの定義としては、UX白書(All About UX)、ISO9241-210:2010などさまざまな解釈が存在しています。
“UX Design” ではなく “Design for UX”
よくUXに関する設計のことを“UX Design”と言ったりしますが、私はこの言葉も少し奇妙に思えてなりません。UXが人それぞれ個人的なものだとしたら、他人(デザイナー)が誰かのUXを直接創作したりすることなんてできないはずなんですよね。仮にできたとしても、それは非常に危うい行いのように思います。「誰かのUXをデザインする」ではなく、私はこのことを “Design for UX” と言い換えてみると良いと思います。UXを創作するのではなく、各々のUXのためにできるデザインを志向する。あくまで私たちデザイナーが作り出すのは道具だとかサービスだとか、あるいはその環境の方で、誰かの脳内を覗き込んだりする行為ではないはず。UXのためのデザインを目指したいものです。
ギャレットの5段階のやつはUXではないように思う
Jesse James Garret(ギャレット)氏が2000年頃にリリースした有名な5段階のダイアグラム、“The Elements of User Experience”(通称:5段階モデル)は、その名の通りUXの要素を表しているとされています。ですがこの図が表している内容や図が作られた背景を鑑みると、これらがUXの要素と言い切るには無理があるように私は思います。
UXを構成する要素が、戦略、要件、構造、骨格、表層の5つなわけがないし、何かを経験したユーザーの心の中で、戦略をベースに要件を定義し構造を形作り、ワイヤーフレームが成り立ち……なんて現象が起こるとは、到底思えません。それは製品の制作過程に関する話であって、ユーザーの心の中で起こる現象のことではありません。
結局この図が表したいのはUXではなく(2000年当時の)Webデザインに関する考慮事項や制作行為の抽象度に関してで、UXそのものに関してではないと私は見ています。それで言うと、UXの様子を表しているモデルとしては例のハニカム図などの方がより本質には近いのかなと思います。
あくまでも憶測で、ギャレット自身も「なんでもUXに言い換える流行り」に乗っかってしまい“User Experience”の語句を用いたのではないかと考えてしまいます。ただ私が斜に構えすぎでしょうか。
ところで、“The Elements of User Experience”は5つの段階がよく注目されますが、この図で重要なのは5つの段階に関してではなく、むしろ左右の二分割に関してです。オリジナルでは「Webが包含する基本的な二重性」として言及されています。小さな文字で書かれているので見逃してしまいがちですが、これが例の図の本質です。
さっくり言うと、当時のWebデザイン業界では二つの原理主義勢力が対立していた背景がありました。「Webとはハイパーテキストをベースとした情報空間として見なすべき派」と「Webとはユーザーインターフェイスの原理に基づいて表現するべき派」です。互いが用いる言葉や解釈が異なるがゆえ、意思疎通を図ることが難しい状況にあったのだと考えられます。そこで各用語を左右に並べて5つの段階(要素)ごとにマッピングし、解決を図ったのが“The Elements of User Experience”だと言うのです。
実際の図では単純な左右分割ではなくもう少し複雑な分割がなされていますが、基本的には「ハイパーテキストとしてのWeb」と「ユーザーインターフェイスとしてのWeb」の双方から見た際の各段階の様子を表しています。
ところで、UXに関するデザインだとかUIデザインにおいて、その対象となるシステムが必ずしもWebに決定づけられるものとは限りません。ソフトウェアデザインが常にWebに限らないことは、iPhoneやAndroidのアプリケーションを見れば自明です。Webはプラットフォームとしての一つの選択肢くらいの位置付けて眺めてみると、Webの都合が有効な場合とそうでない場合とがあることに気が付きます。例えばハイパーテキストシステムに関する事柄のアレやコレは、システムによっては有効ではないこともあるでしょう。ですからギャレットモデルをデザインの説明に用いる場合は、それをどのように再解釈するかが求められるように思います。
ちなみにギャレット自身も「この図は未完成」と当時から謳っています。
「UXが良い」という表現について、および共通認識の持ち方
よく、触っていて心地の良いUIだとか、サポートが充実している様子のことを評価する言葉として「UXが良い(悪い)」と言うことがあります。私はこの表現についても少し違和感を覚えることがあります。UXとは個人的で主観的な事柄を指していますから、適切なUXの分析が行われていない場合はこの「UXが良い(悪い)」はあくまで言葉を発した本人の感想でしかないように思います。
物事の良し悪し等の感想を述べたり評価する際には、“UX”の言葉を用いるのではなく素直に「使いやすい(にくい)」「サポートが充実していて良い(不十分で悪い)」……などと表せば良いのではないでしょうか。個々の文脈を無視して“UX”という言葉にすべてを丸め込んでしまうと、本来表現したかった事柄を見失いやすくなるようにも思います。
ただし、詳細なユーザビリティ評価などの分析調査を経ての言葉であるならば、「UXが良い(悪い)」の表現でも良いのかもしれません。
……とはいえ、相手の方に使う言葉を無理強いすることもできませんので、私の場合は言葉狩りみたいなことはせずに(笑)、自身の中で言葉を翻訳するようにしています。時には、翻訳のための情報を補完するために「UXが良い(悪い)」の意味するところ、具体的にどこがどう感じられたかとか、どのような経緯であったかについてを相手方に簡単に聞くようにしています。案外それで「UXが良い(悪い)」の意味するものがはっきりと見えることもあります。
一番注意しなければならないのは、専門家であるデザイナー同士の会話中で“UX”の言葉が頻繁に登場するような場面です。互いが“UX”を異なった意味で解釈してしまっているとこれは認識齟齬に繋がるので非常に危険です。“UX”に限らず、同じ制作現場に在籍するデザイナー同士(できればデザイナー職に限らず関係者全員)では互いの共通認識を持つための「ユビキタス言語」を制定し「同じ表現の言葉」の普及に努めるのが良いでしょう。ユビキタス言語というとすごく大層な印象を抱きますが、例えばGoogleスプレッドシート等でプロジェクト用語辞典を表にまとめるくらいの程度でも十分に機能します。
(※私個人としては、“UX”がとてもフワッとした解釈で用いられる言葉なので、なるべく吟味してから使いたいと思いますが。)
素直な言葉を用いる
UI/UXの表記に関する話題を今更もう蒸し返すつもりはないので書きませんが、結論だけ言うと私はこの表記も奇妙に思うので、積極的に用いることは避けています。同じように、世の中に溢れる“UX”の付く語句の多くは別にわざわざUXと言う必要のない語句だったりします。そのような言葉はなるべく使わないよう心がけるのが良いと思います。わかりにくい言葉はただ余計な混乱を生むだけです。
UIに関する事柄なら、素直に“UI”と書けば良いのではないでしょうか。そしてきっと、本当にUXについて考えるならば“UI”の語句が登場する機会はごく僅かに限られるはずです。
そういう思いで、私はUXの概念を否定するのではなく、UXの言葉を正しく用いたいと考えています。
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