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あんドーナツとカティサーク

1年前の5月下旬に、父が亡くなった。時間が経った今なら当時のことを振り返れるかなと、記事を書きました。

糖尿病と高血圧と心臓病を抱え、大好物は甘いものと揚げ物。さらに主治医から渡された「自己管理ノート」を紛失するという、徹底した不摂生ぶりを発揮していた人。それが私の父親です。
遊べない、食事は味気ない、そんな制限だらけの入院生活が重なったことですっかり生気をなくしてしまい、栄養を取れないので身体は弱り、闘病へのエネルギーが切れてしまったんだろうな。私はそんな風に思っていた。ちなみに享年は67歳。ちょっと早い。

あまり大きな声では言えないが、きっと父はコロナ禍のステイホームなんて守れなかっただろう。幸か不幸か、なんて言葉が適切かはわからないが、父は2月上旬から入院したので、このコロナの活動制限のことは知らない。はず。

けれども私たち患者家族には、もちろん面会制限があった。しばらくは母だけが1日10分、という条件で行けていたが、それすらもできなくなった。ということは身の回りのことを全て病院のお医者さん、看護師さんをはじめとするスタッフが世話してくれていたわけで。我が儘放題の困った患者だったろうに、本当にありがとうございました。

2月中旬、私は夫と結婚式を挙げた。家族だけの式を。私の父は病院にいた。ウェディングドレスではなかったけれど、綺麗に髪を上げメイクしてもらった顔のままお見舞いに行き、いつもより華やかな娘を見てもらった。一応式場で父宛に書いた手紙を読んでいるところも動画に撮ってもらったけど、恥ずかしがってなのか体調のせいなのか、見ようとしなかったらしい。私も気恥ずかしかったから、少しよかったと思ってしまった。よくないけど。

時間軸が多少前後したが、いよいよその日の話を書こうと思う。5月のある夕方、兄から電話が来た。私は兄と話すのもあまり得意じゃない。思春期かよって話だけど。でも、「家族と早めに会わせてほしい」という話を聞いて、これはヤバいと思った。このご時世に「家族を呼べ」なんて、そういうことだ。お父さんが死んじゃうかもしれないってことだ、って。

在宅ワークが始まって数週間の夫と一緒に、父の入院先へ向かった。うっすら目を開けて私を見た気がしたけれど、本当にどうなのかはもうわからなかった。私がそう思ったかったのかもしれないし、見たのかもしれない。主治医の先生は父の容態と、おそらく数日中に息を引き取るだろうことを説明してくれた。とても丁寧な語り口で、分かりやすくて、これは現実なんだ、本当にいなくなっちゃうんだって思うしかなかった。その翌日、父の心臓と呼吸は本当に止まって、母と兄と一緒に当直の先生が臨終を告げるのを聞いた。

そこからは母と兄と3人で「聴覚が最後まで機能するって言うし、お父さんはまだ死んだこと分かってないから、あんまり直接的な話は避けよう」とひそひそ話した。お葬式まではあっという間というか、めちゃくちゃ忙しいときと何もすることがなくて職場への申し訳なさだけが募る時間とが交互に訪れて、死を悲しむ間がなかった。うーん、そうしたかったのかもしれない。父の死より向き合いやすいことを考えていたかったんだ。

そうすると、棚上げしていた悲しい気持ちが寝る前に押し寄せてくる。

引き出しに私たち兄妹が小さな子どもだったころの手袋や靴下をいつまでも取っておいたこと。私が一人暮らしのために家を出るとき「毎日帰ってきていいからね」と言って送り出してくれたこと。夫の名前はなかなか覚えなかったけれど、お見舞いに来たから「いい男だよ、素直で」と言ってくれたこと。

少し引いたエピソードもありがたさとして思い出されるのがまたしんどかった。同時に病床の父の口臭を「やだな」と思ってしまった自分を恨みがましく思った。

四十九日の法要で、父の骨はお墓に入った。たまたまお墓にいた家族の子が着ていた「ねないこだれだ」のTシャツにIt's ghost time!と書いてあったのを見て、粋じゃん、と思った。

そして。初めて迎えた父の命日(めいにちって、命の日って書くんだ)

実家に行く=県境を跨ぐことになるので、一周忌の話はまとまらず、母たちがお墓参りに行った報告をただ聞いた。
私は「お父さんといえば」と思う物を食べることにした。故人を思って動くことが供養になるのかなと思ったからだ。父の好物で真っ先に思い出すのはアンドーナツなので、パン屋さんで買ったアンドーナツをほおばってみた。こしあんだった。粒あんがよかった。

翌日、仕事から帰るとカティサークの瓶があった。夫が買ってきていた。そういえば、1年前遺品の整理をしているときに、父が開けないままになってしまったカティサークを持って帰って飲んだのが夫だった。夫がたった数回しか会ったことのない父を一緒に偲んでくれる人で、よかった。

お父さん、お墓参りにはまだ行けないけど、お父さんのことたくさん思い出したよ。ときどき夢に出てくるよね。夢ってそういうものだけど、突然出てくるから「うわぁ」って思っちゃうんだ。でもお父さんは私が頼りにする人として出てくるよ。たまに五月蠅い人としても出てくるけど。でも、少しうれしいよ。この一年はなんだかあっという間で、いつもと全然違って、私にはよくわからなかったよ。お父さん、また夢でね。