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ひとりはいけないことだろうか

 「先生はひとりですか」とか「先生は独身ですか」とか「ひとりで暮らしていて、さびしくありませんか」といった質問。

 正直、この手の質問を、韓国で教壇に立っていた頃、学生から何度されたことか。

 追い打ちをかけるように、「わたしがいい相手を紹介しましょう」とか
 「韓国人の異性がいいですか、日本人の異性がいいですか」とまるで結婚相談所の職員ような質問を、学習者である中年女性から、何度も尋ねられたことすらある。

 かように韓国人は「ひとり」であることに対して、日本人である🐇谷の感覚からすると、過剰に反応するような。「ひとり」でいることは、いけないことであるかのように。特に肌感覚として、中年以上の韓国人はそうだった。

 だが、若い世代は中年世代とは異なり、その意識に温度差があるようだ。🐇谷が、教壇に立っていたのは、2002年度から2016年度までだった。その間、クラスの雰囲気が変わっていくことを実感していた。

 それは、教えはじめた頃、即ち2000年代はじめ「クラスの学生は、みな友達」という意識があるようで、ホンネはともかくタテマエでは、その意識でもって、学生たちは動いている様にみえた。

 特に復学生と呼ばれる、軍隊から除隊して、学校に戻ってきた学生などは、その意識が強かった。そういった学生が、ポツンとひとりでいるような学生に配慮して、ポツンとならないよう、いろいろと気をつかうような光景も、みたことがある。 

 また復学生は、クラス内でも一目置かれて、復学生以外の学生から、普段は頼もしい兄貴やお兄ちゃんであると同時に、間違ったことをすると、こわい存在でもあった。

 だが時間を経ていく中で、そういった一体感を強調した意識は薄くなり、馬が合う、数名の学生同士のいくつかのグループが存在し、「クラスの学生は、みな友達」というタテマエは、文字通りタテマエとして存在するだけとなっていった。

 事実、仲良しグループの学生同士は、休み時間など、わいわい賑やかだが、グループ外の学生とは、疎遠で、言葉を交わすことすら稀であった。

 そして、その動きと符合するように、復学生の存在も変化して、以前のような、他の学生から復学生に対する威厳と敬意は、消えていった。

 また、クラス内で、どのグループにも属さないような、学生も、わずかではあるが、出てきた。厳密にいえば、同じクラスには、仲がいい学生はいないが、他のクラスに、仲がいい学生がいるといった方が正確だろう。

 さらにいうと、ひとりで過ごすことを苦としないような学生も、少ないながらもいた。休み時間などは、ひとりでスマホでゲームを楽しんだり、本を読んでいたりして、楽しんでいた。

 しかし、そういった学生は、教えはじめた当初、即ち2002年から数年間は、いないといっても、いいほどで、2010年前後になって、みられるようになってきたのだ。

 教壇に立っていた間に、クラス内で起こった変化は、最初にエピソードとして紹介した、「ひとり」であることを、ことさら気にかける、避けようとする韓国人の意識に、変化が表れているように受け取ってもいいのだろう。

 🐇谷が韓国を離れて、7年余り経つ。

 日本で、YouTubeを通して、韓国の報道をみている限り、若者世代は「ひとり」で食事することも、何か趣味を楽しむことなども、上の世代とは異なり、それほどおかしいことでもないように、楽しんでいるという報道が珍しくない。コロナ禍も、その動きを助長する役割を果たしたのだろう。「ひとり」を楽しむ流れは、在韓していた頃よりも、拡がっているように感じる。

 そろそろリアルな現場で、この目で、その行動をみてみたいと思っている。










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