韓国人は自らを出前の民族と呼ぶ
「🐇谷さん、ここはねえ、チャヂャン麵の出前も来ないんだよ」
と、日本語教師の友人はいった。今からかれこれ20年ほど前のことである。
「チャヂャン麵の出前が来ない」
その友人が暮らしていたところは、人里離れた山の中の大学の寄宿舎であった。「チャヂャン麵の出前が来ない」だけのことはあったのだ。
言い換えれば、韓国の出前は、どこでも、いつでも、註文すると料理を持ってきてくれるということでもある。
実際、日本ではあまり見かけないであろう光景を何度も見かけたことがある。
海水浴にやってきて小腹が減った。そんな時は、出前を頼めば大丈夫。今いるところまで、出前のバイクがやってきてくれる。そのせいか、海水浴場の砂浜に、心無い海水浴客が捨てたチキンの骨が埋まり、素足で歩くときに気をつけないと、足にケガするということを、以前テレビで報道していた記憶がある。
大学など教室や研究室ではない野外でも、問題なく料理を持ってきてくれる。ベンチに座り、中華料理の出前をとり、学生が友人たちと仲良く食べている光景を何度もみたことがある。
ところで、話はあらぬ方向に飛ぶ。
お読みくださっているかたの中に、かつて一世を風靡した劇画『空手バカ一代』をご存じのかたはおいでであろうか。モデルとなったのは、「牛殺し」や「ビール瓶を横から手刀で割る」逸話などで知られた、実戦空手家の大山倍達氏。
彼の「倍達」という名前を聞いて、ピンときたかたは、韓国に関して知識をお持ちのかたに相違ない。彼は帰化したとはいうものの、現在の韓国は、全羅北道金堤郡で生まれた朝鮮人(うまれた当時は日本統治時代)で、崔永宣といった。
「倍達」は韓国語で発音すると「ペダル」となり、その意味は神話時代の朝鮮(韓国)を意味するもので、日本に帰化したとはいえ、朝鮮民族としての誇りを持っていた証を表したものか。
話を出前の話に戻す。出前を韓国では、「配達」という。韓国語で発音すると「ペダル」となる。
そう、大山倍達氏の「倍達」と発音が同じになるのだ。
発音が同じになることから、出前好きな特性と民族の異称の音の重なりに着目して、自らを「出前の民族」と呼ぶセンス。こういった有情滑稽のセンスこそが、韓国人の真骨頂といっても過言ではないだろう。