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実録。 離活日記「幸せになる為の離婚」  Vol.3 いびつな日常と我慢比べ

日常≒非日常

一度自らの意思で家を出て行った妻が戻って来て何も弁解せず、何も語ろうともせず何の躊躇いも後ろめたさもなく過ごしている。
勿論、部屋の掃除なんてする事なく食後の食器類は洗う物の食器棚に片付けないので洗い晒しのままどんどん重ねていく為、日常的に使わないお皿等は下の方に放置された状態で埃が段々溜まっていく。
これもまた今迄と全く変わらない日常なのだが、毎週土曜日の私の朝食後に私が積み重ねられた食器類を再度洗い食器棚にしまっていた。
勿論、妻からはお礼もごめんねの一言も無い。・・・これも日常だった。
そのな中、子供達が親達の問題も事実として認識していたと思うが変わらずに私と元妻に対して同じ様に接してくれていた事。今迄と同じ日常を過ごして、そして過ごさせて頂いた事が家の中での唯一救われた事であった。

ある日(週末だったと思う)、リビングのテーブルでおやつと言うか軽食を取りながらパソコンで仕事をしていた時に当時小学5年生だった娘が、リビングに楽しそうに入って来て「ねぇねぇパパ、パパ!」って言いながら僕のももに座って来た。
正直、その時の会話がどんな内容だったのか?忘れてしまったが、その時の感触は今でも忘れられずに覚えている。
2人の子供を授かって多くの楽しい出来事は有ったが、この一瞬の出来事は私の人生の中でとてつも無く嬉しく、楽しいひと時であった。
この娘との「日常」も普段の「非日常」的な感情や出来事の中では、私に力をくれた事の大きな一つの出来事であった。
その時も感じていたのだが、まだ幼い容姿の娘は両親の心の内の感情に気付いて私や元妻に対して彼女なりに気を使っていたのだなぁと思います。
ただ、そんな子供達に気持ちを支えられながらも、「これからも家族4人で楽しく平和に過ごそう。」とは全く思わなかった程、心が疲弊していたと思います。

子供の受験勉強

発達障害と幼少の時に診断されていた長男だが、発達障害児の特徴である、特定の物への集中力という物を自然に活用し、それにより本人も成長する毎に自信を付けていったのが勉強であった。テレビ番組のクイズから物事を探求する様になり、それにより勉強する癖、学ぶ事の楽しみを実感しており、親として彼を見ていて物凄くエネルギーを感じていた。
勉強に関しては、どんな教科でも成績は常に上位だし、他の地区の子供達も通う塾でも勉強が出来るという事でいつの間にか有名人になっているという具合である。
そんな彼だが、県内の中高一貫校入学を目指して臨んだ受験に失敗してしまった。
流石にその時は、発達障害の特徴が良からぬ方向に向かうのではないか?と心配になった。
でも、そこは彼の物怖じしない、深く拘らないところが上手く働いたのか、高校受験、そして最終的な目標の大学に入る為にっ!と切り替えて今迄以上に中学で勉強する様になり、成績も落ちる事なく受験勉強に励んでいた。

娘もそんな兄の事を見ていた為か、やはり幼い時から読書が好きで一人で集中して勉強や絵を描く事を好み、兄の後を追う様に、いやいや兄を追い越す様に極々日常的に勉強していた。

二人とも親目線で見ていても「良くこんなに集中して勉強出来るなぁ?」と感じる程であった。

この二人の受験に取り組む姿勢も私にとっては、とても有意義な日常であって彼らの成長が楽しみで親としての子供の成長する姿を夢見させて頂いた事である。

そうなんです。この二人の子供達がいなければ最終的に長期に及んでしまった非日常の延長線にある離婚を前に進める事も無かったと思います。

これが、私の「幸せになる為の離婚」の原点なのかもしれません。

つづく


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