見出し画像

V.Ⅴのフィーカ

ゴン、ゴン、と執務室のドアが鳴る。
ノックと呼ぶには些か荒っぽく、そもそもこの部屋にはインターフォンが付いているのでノックの必要はないはずだった。
ゴン、ゴン、ゴン…
鳴り続く音の原因に検討はついていたが、それでもスネイルは手元のモニタを操作し、ドアの外と繋げた。
案の定、そこに映ったのはV.Ⅴホーキンスだ。
カメラが起動したことに気が付いたのだろう。爪先でドアを蹴るのを止め、微笑みとともに両手を塞ぐ2つのカップを掲げて見せる。
スネイルは、はあ、と溜め息をひとつ吐いてから、デスクから操作してドアを開けた。

「呼び出したのに中々来ないと思ったら……何ですかそれは」
「フィーカを淹れているところに呼び出しのメッセージが来たんだ。順番だよ。フィーカが先、君が後。折角挽いた豆を台無しにしたら勿体無いだろう?飲んでから来ようかとも思ったんだけど、あんまり待たせるのも悪いし、かといって僕ひとりだけ飲んでるのも居心地が悪いからね。君の分も用意してきたというわけさ」
悪びれないホーキンスに怒る気力も失せ、兎にも角にも仕事の話を進めようと、スネイルはデスクのモニタに資料を呼び出す。
「今回呼んだのは予定されているアイスワーム討伐に必要な物資の…………どちらへ?」
ホーキンスは端末を示すスネイルを無視し、応接用の椅子へ腰を下ろす。
「ホーキンス、私は仕事のために呼んだのですよ」
「いいじゃないか少しくらい。それにほら、僕のフィーカ・・・・・・が冷めるのは勿体無いよ」
そう言って対面に置いたもうひとつのカップからは、本物の芳醇な香りがスネイルのところにまで漂ってくる。

ルビコン3は不毛の地だ。コーラル以外に得られるものはほとんどない。
星系自体が辺境にあり、惑星が封鎖されてからは交易路も途絶えている。
部隊を送り込むに当たり、アーキバス社は威信にかけて物資の補給を続けているが、封鎖機構の目を掻い潜っての輸送はどうしても小規模にならざるを得ない。
結論として、冷徹な企業倫理は、嗜好品の類を真っ先に切り詰めた。
輸送効率と保存性のみを追求した粉末フィーカは、最大限譲歩しても”フィーカ擬き”、心の声に正直に従うのなら”泥水”と呼ぶべき代物で、本物には程遠い。
多忙な日々の中、カフェインを求めてソレを啜るのがヴェスパー部隊の日常であり、隊長クラスであってもそれは変わらない。
しかし、どんなことにも例外はある。
V.Ⅴホーキンス輜重部門責任者は、何をどうしたものか、本物の豆を、しかも金だけでは買えないような最高級の部類を所持していた。(もちろん権限を濫用した形跡はなく、本人は「個人的な伝手だよ」と主張)

つまり、ホーキンスのフィーカ・・・・・・・・・・とはそういうものなのだ。
泥水に慣れきったスネイルの嗅覚はその芳香に歓喜し、味覚は早急な摂取を求めて脳をキックする。
「…………まあ、いいでしょう。フィーカの1杯くらいであれば」
そう言ってカップに伸ばした手は、しかし空を切る。
ひょいとカップを持ち上げたホーキンスは悲しげな顔でこう告げた。
「実はね、スネイル。両手が塞がっていたからお菓子を持ってこられなかっ
たんだ。それじゃあ楽しみも半減だろう?」
「…………」
スネイルの沈黙を待ち、そしてにこりと笑う。
「だから、そうだね、チョコレートでいいよ」
手にしたままのカップでロッカーを示し、ホーキンスは「あるだろう?」と微笑みかける。
すぅ、と息を吸い、はぁー、と長く息を吐き、もう諦めたとばかりにロッカーを漁るスネイルを、ホーキンスはにこにこと眺めていた。

「おや、ホーキンス殿、スネイル閣下から呼び出しですか?お疲れ様です。……そのカップは?」
スネイルの部屋を退出したところをペイターに見つかったホーキンスは、悪戯を見咎められた子どものように2つのカップを背中に隠す。が、すぐに観念して空のカップを掲げて見せた。
「いや何、合同作戦の準備で最近のスネイルは頑張りすぎているようだったから、差し入れをね」
「ああ、アイスワーム。聞くところによると、自ら前線指揮のために出撃されるとか」
二人は廊下を歩きながら話を続ける。
「向こうがあのミシガンを出してくる以上、僕らじゃあバランスが取れないし、かといってフロイトに寄せ集め部隊の現場指揮というのはちょっと、ねえ?」
「無理でしょうね!」
「ははは、まあ、そういうことだよ。それでも周りに頼れることはいくらもあるだろうに、スネイルはそういうの下手だから。やれやれ、少しは息抜きになったのならいいんだけど」
「ホーキンス殿のフィーカです。きっと生まれ変わった気分ですよ」
「ありがとう。僕もそう願うよ」
穏やかな雑談を交わしているうちに二人はホーキンスの自室の前に来ていた。
じゃあ僕はここで、と別れようとしたホーキンスだが、ペイターは動かない。
「ところでホーキンス殿!私も結構がんばっていると思うのですが!」
「ははははは、分かった分かった。頑張っているペイター君にも淹れてあげるよ」
「ありがとうございます!」

【終】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?