見出し画像

(美大日記㉕)夜の徘徊/切ない動物

2000年代。まだ新幹線が開通する前ののんびりした石川県金沢市で、美大に通いながら、ひとり暮らしの日々を綴った『美大時代の日記帳』。
プライバシー配慮のため、登場する人物・建物名や時期等は一部脚色しておりますことをご了承ください。
それでは、開きます。


夜の徘徊


最近読書に溺れている。
文字通り、溺れていると言える。夏休みという24時間が溶けてなくなるシーズンも相まって寝る前に読書、起きぬけに読書、日中もゴロゴロ寝転び読書、腹痛にもがき苦しみながらアパートのトイレに2時間閉じこもった時も本の世界に逃げていた。しかも、筒井康隆や清涼院流水、舞城王太郎にトリイ・ヘイデンという頭が現実と虚構を行き来しっぱなしの取り合わせで読んでいたので、ときどき意味もなく落ち込んだ。

ある日の夕暮れ、本屋からの帰り道にふと自転車をアパートではない方角へ向けた。牛乳を買おうと思っていたが、あまりにウォークマンで聴いていたジュリーが心地よくてコンビニ前を通過し、スーパーも通過し、裏通りに入った。
まっすぐ、ひたすらまっすぐ自転車を走らせる。
これ以上行ったら山の方へと続く上り坂の手前まで来たらUターンして、来た道を戻る。大桑方面へ続く下り坂から、広がる夜景がみえた。

「何してんの?」

まったく人とすれ違わなかったのに、そこで出会った人影はなんとクラスメイトのMちゃん。
「夜の徘徊。」
「ふーん。ウォークマンつけたままだと危ないよ」
Mちゃんは大桑の電気店に用があるらしい。こんなに真っ暗なのに。って人のこと言えないか。じゃあねと坂を下ってゆく彼女を見送り、ふたたび私はMちゃんの親切を無駄にしてウォークマンのボリュームをがんがんにして裏通りをUターンし続けた。小立野通りに出るまで、15分くらいの道を5回も6回も往復した。飽きてきてアパートの近くまで戻ったがやはりまだうろうろしていたくて、通ったことのない小道に進んだがすぐ行き止まりでつまらなく、再び小立野の裏へ戻った。
美大生も早3年目。
人間関係が豊かになればそれだけ煩わしさも生まれる。ジュリーよろしく勝手にしやがれな気分で最初はむしゃくしゃとしていた頭が、無意味なUターンの繰り返しの中でだんだん冴えてくると、生活の悩みは消え去り、結局、いつものように制作のことを考えていた。9時には帰ろう。それまで走ろう。

そういえば今夜は某テレビ局で24時間の生放送がやっている日。今頃東京では感動のフィナーレが繰り広げられているのだろう。そんな夜の裏で私はひとり、金沢で自転車徘徊を続けた。


切ない動物

今日は父の誕生日なのだけれど、今年はプレゼントを用意していない後ろめたさからメールすらしない見栄っ張り娘。

午前中は学校でキャンバスを張りニカワをひき、乾燥させてコンサートホールのバイトへ向かった。
今日の公演はCD録音があるのでホールスタッフにも緊張が走る。が、思ったより来場者が多くなく、遅れ客も少なくて楽だった。階席リーダーだった私は、チーフから「S君の姿勢が悪いので教えてあげてください」と耳打ちされS君のもとへ。生真面目に座っているが確かに少し、猫背が気になる。

今年から入ったS君とはもう何度か顔を合わせているが、同じポジションになるのは初めてだ。他大学に通う彼は学年は1つ下だが年齢は同じ。それでもきちんと敬語だし、教えを乞う姿も積極的で後輩然としている。恐らく規律に厳しい運動部育ちが影響していると思われた。姿勢についてアドバイスすると、
「はいっ。ありがとうございます!また何か悪いとこあったらどんどん言ってください!」
おお~。すごい。何か、接したことのない世界のオーラ(輝き)を感じる。

終演後、控室で反省文(毎回全員が書く)を書いているとS君が「あの、宇佐江さんのケータイのアドレスか電話番号教えてもらっていいですか?」と声をかけてきた。
急だったが実は驚かなかった。というのも、今年の新人の子たちは皆、入ってすぐに先輩たちの連絡先を聞き回るということをやっている子が何人かいて、彼も「コレクター」の1人であることを以前目にして知っていたからだ。私と同期の子は
「最近の子ってすぐあんなふうに連絡先聞いちゃうんですねー。ちょっとびっくりです。私、頭古いかも」と言っていて私もそれには同感なのだが、もう慣れた面もあるし、確かにシフトを変わって欲しかったりすることもある。S君は熱心な子だしまあいいか、とアドレスを教えた。

とっくにバスのない時刻だった。来る時降ってた雨はやんでいて、のんびりと歩いて帰る。携帯が震える。さっそくS君、ではなくて別の知人からだった。
「あのさー〇月の〇日あたりって空いてる?」
「はあ?」
「バイトの話があるんだけど。今度コンテンポラリがあるのよ。新進の舞台芸術みたいな。今注目の人たちが集まってくるから、すごくいい刺激になると思う。色んな人に紹介するし、バイト自体は楽な仕事だから。面白そうな奴探してって言われてるから是非にと思って」

むむむ。

行きたい…。けれどその日程はグループ展の直前で多分死にそうになりながら制作している頃…。ひとまず返事を保留にして電話を切った。ふー、と見上げると、流れの速い雲が空を埋め尽くしている。じっと眺めていると、切れ目切れ目に夜の色と月が見えた。
愛はトレモロ~。と気分良く耳の中のWinkに身を委ねて深夜の並木道を歩く。誰もいないと思っていた前方に、人影がみえた。街路樹の方に体をうつむけているその人影は、犬の散歩かとはじめは思ったが、近づくにつれ輪郭がはっきりすると下半身を露出している男性だということがわかり、傘を持つ手に若干力を込めて不自然じゃない程度に速度をあげて通り過ぎた。追ってくるとは思わないほど気弱なオーラが漂っていて、気持ち悪いというより、ひどく切ない気分に襲われた。

ああ、人間とは、なんて悲しい動物なのだ。

先程まで、コンテンポラリどうのと誘ってくれた知人のことを思い出す。自分は制作をしないが音楽や美術や、それを作る人には大変関心があるという彼は、私の中の未熟すぎるしょーもないけど一応存在しているらしい芸術性を買ってわざわざ声をかけてくれたのだ。こんな、まだ実力も定かではない美大生という肩書しか持っていない私なんかを。分不相応な気がしたがやはり嬉しかった。そんな気分だったのに…。

ああ、ほんとに切ない。こんな真夜中の並木道で控えめな露出魔をするくらいなら、じっくりどっぷり激しくも素晴らしい官能小説に耽溺でもして欲しい。現実なんて切なすぎるし、乾きすぎている。

まるでハートに、ナイフを刺されるのじゃなくサンドペーパーでごしごしされたような、そんな帰り道だった。





今週もお読みいただきありがとうございました。結局、この時誘われたバイトは行きませんでした。美大生の頃、しょっちゅうではないけれどこういう「将来に繋がるっぽい面白そうな誘い」がたまーにあって、でも結局、何一つ参加しなかったなあ…。一つでも行ったら私の人生、何か変わってたかしらと思いつつ、今の人生も悪くないのでまあいいか、と思います。
それより今回、書いてて一番切なかったのは父の誕生日祝いブッチ。「おめでとう」とメッセージ送るだけでも娘からならきっと喜んだろうに、変な理屈で気づかなかったふりしてしまった謎行動。それもまた、人間という動物の切なさかもしれません…。

◆次回予告◆
『短編エッセイ』充電の日/電車の中の出来事(仮)

それではまた、次の月曜に。


*コンサートホールのバイトは楽しかった!その他はこちら↓

*気づいたらなんか、夜の話が多い…。その他の回はこちら↓


いいなと思ったら応援しよう!