人生のささやかな路線変更ーおでかけがしたい。㉒ー
旅や散歩にまつわるエッセイ+写真のシリーズ『おでかけがしたい。』久々の第22回。
今回は、写真少なめで物思いにふける旅路。
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悩み事を人に相談しないタイプだった。
誰かに話しても、解決するとは限らない。仮にアドバイスをされても、それを実行するか否かは自分次第。だったら一緒になって悩ませるのも悪いし。
ずっと、そう思っていた。
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休日、少し遠くに出かけた。
終点が有名な観光地なので、指定席は外国人を中心に旅行客でほぼ満席。その代わり、私が乗った自由席の方は空いていて快適だった。手元にはスターバックスのカップとサンドイッチ。20代の頃はよく利用していたけれど最近はめったに行かなくなったスタバ。でも旅の出発には、今でもつい買いたくなる。
行こうかどうしようか迷っていた展覧会があった。ふと、交通手段を吟味するうち会場が友人Rの実家に近いと気づき、R母にメールして、一緒にランチをする約束をして、それを楽しみに出かけた。
R母とは去年から急速に仲良くなった。
それまではRの話にたびたび登場していたものの、高校以来、Rの両親が名古屋から他県の田舎町に引っ越したこともあり、会う機会は全くなかった。それなのに、自分の母が亡くなったあと急に会いたくなった。あの頃の私は、「誰かのお母さん」である人に対し妙にセンチメンタルな恋しさを抱いていた。
ある時Rと3人でお茶をし、アドレス交換した。それから折に触れR母は、お米や自家製野菜を送ってくれるようになり、Rが実家へ帰省する時期にはときどき、私も合流しておうちに泊めてもらうようになった。
うちは父方の祖父母は同居だったし、母方の両親もマンション住まいだったので、いわゆる「田舎」と呼べる場所がなかった。だからこそ、東京暮らしに参るたびRが
「ああ、土の上を歩きたい。実家の空気を吸いたい」
と嘆くのを物珍しく聞いていたが、だんだん、私もRの実家の風景が好きになっていった。
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3度目となる来訪。しかし、R抜きで会いに来るのは初めてである。
待ち合わせ場所にいたR母は、やはり植物の観察中だった。野草が大好きで、スマホと接写に優れたデジカメの両刀使いで四季折々の野草を記録しているR母。
お互いにキャーキャー言ったりハグしたりするタイプじゃないので、淡々と、まるで昨日も会ったみたいなテンションで自然に合流して歩き始める。近くで温かいおそばを食べ、午後はふたりで展示を観てまわった。
野外展示もあったので、半分鑑賞半分散歩の気分でのんびり歩く。
さっき、昼食場所で座るやいなや、私は最新の悩み事をR母に話した。
行く前から、話そうと思っていたのだった。解決を求めてというより、ただ聞いて欲しかった。R母はふんふんとうなずき、
「なるほどなるほど。」
と、すでに郷愁すら抱いてしまういつもの口癖で応じた。
両親が亡くなってから私の人生に、ささやかな路線変更があった。それは、悩み事ができたらすぐそれを誰かに話すようになったこと。
自分だけでこなさなければならない面倒事が一気に増えた。母が亡くなってからまもなく1年が経ち、次第に落ち着いてはきたものの、それはまだ終わらないし、次から次へと現れる。抱え込んで自分が駄目になる前に誰かに話し、共有する。それは自然にシフトチェンジした私の行動だった。
職場でも、友人・知人にも。
そのように自分が変化して初めて知った。まわりの人が、自分の話を聞いてくれること。その後も経過を気にしてくれること。そして必要な時はすぐに行動し、助けてくれること。その尊さを、何度も、何度も感じた。
それは悩み事を人に相談しなかった頃の自分では気づけなかった有難みだった。
展示のあと、R母がいきつけのお洒落なケーキ屋さんへ連れて行ってくれた。
「Rに写真送ったろ」
と言って、R母がモンブランの前で笑う私の写真を娘に送る。
楽しい半日デートを終えて、改札の向こう側からR母に手を振り、私は街へと戻る電車に、幸せな気持ちで乗りこんだ。
(写真/©宇佐江みつこ)
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今週もお読みいただきありがとうございました。10代より20代、20代より30代と、年齢を重ねるごとに人はひとりじゃ生きられないなあ……と実感します。
◆次回予告◆
思い出ごはん
それではまた、次の月曜に。
*友人Rとの関係性のお話はこちら↓
*今回はおでかけ感弱めでしたので、物足りなかった方は過去回どうぞ↓