(美大日記㉖)DM撮影/人生は極急で
2000年代。まだ新幹線が開通する前ののんびりした石川県金沢市で、美大に通いながら、ひとり暮らしの日々を綴った『美大時代の日記帳』。
プライバシー配慮のため、登場する人物・建物名や時期等は一部脚色しておりますことをご了承ください。
それでは、開きます。
DM撮影
昨年度にやったグループ展をふたたび3年生の今年、同じメンバーでやることになった時、難航したのはDMのアイデアだった。
私たちのグループ展は、前回も異常なほどDMにこだわった。ふつう絵画展のDMは、出品する作品の画像を使うのが王道でありレイアウトもほぼテンプレなのだが、
「内容はゴリゴリの写実的油画なのに、DMには一切作品を載せず、メンバーのカッコいいアーシャ風画像を載せる」
という謎のテーマを私たちは掲げていて、前回はメンバーの知人のカフェを借りて撮影した。
会議の結果、今回のコンセプトは「ビリヤード」に決まった。例の如く、主な交通手段・チャリで金沢市内や郊外をあちこちロケハンし、その中で出会った人から「そういう目的なら、いい感じの店があるよ」と少し遠くのプールバーを紹介してもらった。
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撮影当日、金沢から30分ほど離れた小松駅まで電車で移動し、店へと向かった。すでに下見をして、店長さんにもご挨拶済み。そして、前回のカフェではポージングを全く考えずに臨みやたら時間を食ったので、今回は前日に金沢市内の別のビリヤード場ですでにリハーサルも終えているという準備万端な私たち。トイレで衣装に着替え(女メンバーは男装、男メンバーは女装)いざ、撮影が始まった。
最初の1時間程は他にお客さんもおらず、店長さんのご厚意でテスト撮影中は無料でキューを貸してもらい、玉は触らずひとまずポージングしてみた。見栄え重視で選んだが実は全くのビリヤード初心者である私たちの惨状を、奥のダーツで遊んでいた店長さんが見かねて
「構えのちゃんとしたやり方、教えましょうか?」
と申し出てくれた。
左手を、指と手の甲を山にして立て、指を開く。人差し指と親指をくっつけてその関節の谷間にキューを置き、右手は90度で肘を保ち、思いっきり腰をひき姿勢は低く。
「おっ、いい。完璧完璧」
店長さん、めっちゃいい人…!!
恰好がついたので玉を動かし「ゲームをします」と店長さんに告げて料金カウントを始めてもらい、いざ本番。その頃お兄さんがひとりふらっとやってきて、私たちの撮影している台のすぐ向かいの台でプレイを始めた。常連らしく、いつも決まった台で打ってる感じ。私たち、邪魔かな~?なんでよりによってオレの台の後ろでチャラチャラ撮影してんだよって機嫌、悪くされないかな~と内心ハラハラしたが、この台が一番背景映りが良いので、私たちも譲れない。
撮影しながら、お兄さんの様子を横目で気にした。「スッコーン!」と気持ちのいい音を立てて玉がちらばりガコンガコン、次々穴へと消えてゆく。まるでプロみたい…と思わず見惚れていると、そのお兄さんもなんか、ちらちらとこちらを見ていることに気がついた。
あ、やっぱ邪魔?怒られる?
やばい、お兄さんがまっすぐ近づいてきた!「あの…」。
「ナインボールは、ふつう最初の位置からは動かないから、それじゃ本物っぽくないよ」
「えっ?」
文句ではなく、私たちがテキトーに並べた玉を打つポーズをしていることを、先程の店長と同じく教えてくれたのだ。
な、なんて優しいんだビリヤードを愛する人たちは!!と大感動。その後も何度か近づいてきて、姿勢とかを直してくれた。
来店したのが午後2時で、撮影終了が午後7時過ぎ。結局5時間もかかってしまったが大充実。その頃には店は常連さんですっかり賑わっていて、私たちは帰り支度を始めた。胸に巻いたさらしも外してすっきり。
退店する時、店長さんは奥へ行ってしまいご挨拶できなかったが、
「DM出来たら送ります!」と御礼をバイトの人に伝えると、
「お疲れ様でした」
と笑ってくれた。
人生は極急で
「人生は極急で、死ぬ気で」。
コンサートホールバイトの先輩Kさんの名言である。人生はとにかく忙しく駆け抜けてゆけという意味らしい。言葉の通り、Kさんは仕事もちゃちゃっと素早いし、特にチケットもぎりのスピードにかけてはクイーンの名を欲しいままにしている。
それなのに、私はといえば今日もずるずる遅寝遅起き生活で、制作の合間に土曜ワイド劇場『混浴露天風呂連続殺人ファイナル!~箱根・伊豆~さらば温泉刑事。セレブの夢が泡と散る、18年前バブルに踊った女たちの傷跡(※過去の日記なので正確なタイトルかは不明です)』を観ながら呑気に味噌煮込みうどんなど食べている。
大学3年目の冬。バイト先の他大学の人たちは皆、就職活動を本格化しているにも関わらず、美大では相変わらずのほほんな空気が漂っている。その中でも、一応は就活に関心がある派に属している私やMちゃんですら、昼休みに食堂で「自己分析&職種研究ガイド」を開きながら、
「やれる仕事より、やりたい仕事を探した方がいいらしいよ」
などとつぶやいている始末。
アパートに帰宅すると、母から手紙が来ていた。珍しいなと思い開封すると中から新聞の切り抜きが出てきて、
「えー。こんなのー。と言ってる顔が浮かびますが、ちょっと目に留まったので送ってみました。何でもやってみないと分からない。就職の件も、前向きに考えてネ。色々なものにチャレンジして自分の方向が見つかるといいネ。母も何かしたい!」
と便せんに書かれていた。切り抜きは、「お花のイラストコンクール」という公募記事だった。
高校から美術の道に進むことを提案してくれて美大にまで行かせてくれた母だが、こと就職となると「悪い事は言わないから、一度はちゃんとした会社に就職しておきなさい」とこの頃盛んに言う。ちゃんとした会社、というのがどういうものなのかまだ私には未確認物体すぎるが、帰省のたびに気分が重たくなっているのは確かだった。
このまま制作を続けるか。
それは油絵なのか、漫画なのか、文章なのか。いずれにせよ、母にはわかるまい…と思っていたが、こんな切り抜きを寄越すくらいには私を理解してくれているらしい。(公募の内容はともかくとして…。)
ひとまず手紙を机に置き、コーヒーを淹れて家計簿をつけ、ふと、かばんの中の瀬戸内晴美『蜜と毒』を取り出し、開いた。
すでに何度か読み返しているが、そのたびに、この本は男と女の思考の縮図だなと思う。章に寄って視点が入れ替わり、前章では嫌な奴…と思っていた人物のターンでも、本人から発せられる言動だと、どれもが尊い真実に思える。特に、おなかの中の子の存在がどんどん大きくなるにつれ思考まで変わってゆく純粋な淳子と、奔放で正直で全てが魅力に値する奈美をみていると本当に心が動く。
この本を書いた瀬戸内晴美の半生を宮沢りえちゃんが演じたドラマが大好きで何度もビデオを観直した。特に、晴美が不倫の恋仲である小説家(阿部寛さん)に言われた言葉がずしん、と胸に居座っている。
「小説を書くってことは命がけなんだよ」
本を閉じて、目をつむった。
これまで、その言葉に込められた意味を私は「命を捧げなくてはいけない程に過酷な仕事なんだよ」という苦しみだと思っていた。だからこそ、そんな世界に足を踏み入れようとしている晴美を可哀想に、と言ったのだ。
しかし今、自分の中で再生されたその台詞は別の意味を知らせていた。
書くってことは、生きることとイコールなんだよ
と響いた。仕事でも生活の一部でもない。作品を書くということは、「生きる」と全く同義として成立するんだ、きっと。
どうなることやらこの先。しかし駆け抜けたい。
スロースターターなりに。
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今週もお読みいただきありがとうございました。この時はスルーしたイラストコンテスト、実は数年後に別のテーマで募集があった時に送ったことがありました。入賞?だったかな?といっても別に何ってことはなく、その主催者が運営しているイラストレーター通信講座みたいなやつを勧められつつ、どう考えても絵のことわかっていない営業マンぽい人からポートフォリオ指導を受ける謎の副賞で…。あの頃も(ナイナイ)って呆れつつ、転職時期でほんの少し心が弱っていたので、一瞬だけ入会しようか悩みました。人生に悩むときはつけこまれやすい。これもおとなになって学んだ真実。
皆さんは、人生に迷った時何を思い浮かべますか?
◆次回予告◆
人生より来週月曜何書こうか迷い回。
それではまた、次の月曜に。
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