アート好きな人はアートを見てどう感動してるの?ーArtとTalk㉑ー
皆さんこんにちは、宇佐江です。
しばらくこのコーナーでは美術館レポなどが続いたため、今回はひさびさに原点に戻り、アートに関する素朴な疑問をゆるく、していきたいと思います。
深夜にテレビを観ていて出会った『午前0時の森』(日本テレビ)での若林さんと水卜アナの会話にまざりたくなったお話。
それでは参りましょう~。
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アートを楽しむのって一目惚れ?
日本テレビ系列で毎週月・火曜に放送中のトーク番組『午前0時の森』。
月曜と火曜ではMCが違うらしく、私が観たのはたまたま火曜日で、オードリーの若林正恭さんと水卜麻美アナウンサーでした。
ゲストもなく、個人的にも大好きなおふたりの心地よいトークが続いたので何気なく観ていたら、こんな話題が。
「おおっ」とそれまでだらしなくソファに横たわっていたのを座りなおして、おふたりの会話に聞き入りました。
私は美術ファンのコアな話よりも、こうした「美術とふだん距離があるけれど美術の存在について気にはなっている人」の考えていることをすごく知りたい気持ちがあるので、このような話題についそそられてしまいます。
ほんの数分ですが、この時の若林さんと水卜アナの交わす内容はシンプルながらアートの核心を突く、とても興味深いものでした。気になる方はhuluで過去放送も観られるようなので詳細を伝えるのは避けますが、「アート全くわからないけど展覧会には行ったりして競歩くらいのスピードで流し見てしまう」若林さんと、「美術館には結構行くけれど、アートを味わえている実感がまだ訪れていない。いつか、ビビビっと来る作品と出会えるのではないかと思っている」という水卜アナ。
そしておふたりの会話はこのような疑問へと流れていきました。
番組を観たあと、「アート好きな人」の側であるのだろう私は、個人的な回答を勝手に思案してみました。
絵を観て、どれくらい感動してる?
まず若林さんの疑問。このお話をされているとき、若林さんはご自身が「観ると感動する」という某名作ドラマを例に挙げられ、
「そのくらいの感動が来るわけ?絵をみた瞬間に」と問いかけ、水卜アナを困らせていらっしゃいましたが。
私も、このnoteで鑑賞レポを書いているとき「感動」という言葉を何度か使ったと思います。でも、その「感動」の中身も色々あって、
例えば、
『大好きなラファエロの作品が初来日して、ずっとずっと画集でしか観られなかった絵を今、私は、肉眼で観ている!!!』
という貴重な体験に対する「感動」。アートの世界は結構これがあると思います。なにせ、同時公開できる映画やドラマと違い、世界にたったひとつしかその「作品」が存在しないのですから、自分が生きている間に実物と巡り合える可能性がそもそも低いのです。そして、実物のサイズ感、質感、発色、オーラ。そうしたものは決して画集や映像では伝わりきれず、実物と相対したときにやっと得られる感想がある、それが「感動」となるのだと思います。(もちろん、実物みたらさほどでもなかった…という逆パターンもあります。)
他には、技術的な凄さ(超絶技巧という意味ばかりではなく)に対する感動も勿論ありますが、アート作品ならではの感動といえば、自分の価値観を揺さぶられるような出会いではないでしょうか。
映画やドラマはジャンルとしてはエンターテインメントなので、「面白い」ことが重要です。そして、面白さを意識するとき重要なのは共感性であり、近年ではそれに加えて「観る人を過度に不快にさせない」などの要素も加わっているように感じます(良し悪しは別として)。
それに対してアートは、「自分はこれを美しい(美、アート)と感じる」ものを作品化する傾向にあります。その中には「面白い」という要素もありますが、その面白さは「他の人に面白いと思ってもらいたい」ではなく、「自分はこれを面白いと思うのです!」という価値観をそのままぶつけてくるところがエンタメとの違いだと私は考えています。共感性の意識がそもそも低いのです。
馴染みがあまりない人に「アートはとっつきにくい」と思われがちな理由はここかもしれません。
しかし、その違いをあらかじめ承知していれば「理解できない自分」を蔑むのではなく、「この人の作品は、自分には合わないから面白くない」とか、無理なくライトに接することができるようになります。そうしてアートとの出会いを重ねていくうちに、共感性完全無視の強烈な個性や、はたまた自分の心を知られているかのようなジャストフィットな表現との出会いの瞬間が訪れて
「なんだこれは!!」
という驚きと共に、アートの感動がやってくるのです。
バックグラウンドは知っておくべき?
もうひとつ、おふたりともが口にしていた疑問で「アートは(作家または作品の)バックグラウンドを知っていれば、理解できるものなのか?」。
これすごいわかる~。
私も高校で美術を学び始めたころ、完全に「勉強」モードで美術館に行ってて、水卜アナと同じでキャプションとか解説パネルとか全部読んでました。だって、作品観ただけじゃ良さがわかんないんですもん。
でも一方で、確かに、作品を観ただけで「ハッ」とする出会いに憧れる気持ちもすごくわかります。
これは美術館通いを20年続けた私の経験から言えることですが、バックグラウンドは知っていた方が確かに楽しめる。けれど、それより大事なのは「場数を踏むこと」です。
珍しいスポーツの観戦でもそうですよね。
なんとなく観ているだけじゃルールも選手の名前もわからない。さりとて詳しい人から「これはああでね、こうでね…」と真横で講釈されると気持ちが冷める。
ただ、なんとなしでも見続けていくと「ああ、こういう時はこういうルールなんだ」と自然に知識が蓄えられ、「あ、この選手、さっきミスした人。頑張れ!」と顔を覚えると情が沸く。
その人が実は不遇の過去を持っていたとしたら、尚更気持ちが入ってしまいませんか?
ちょっと強引な例えですが、アート鑑賞もそんな感じで、まずは美術館に行ってみるのが大事。
私も作品を制作している立場として「作家側」の気持ちを言えば、自分の経歴や作品についての解説を読んである種の先入観を持って作品を観られることは、必ずしも歓迎すべきことではありません。理想は、作品単体を味わって欲しいというか、それほどの説得力を作品に込められる力量なのが本望です。
けれど、実のところ作品だけで感動させるのは至難の業。それこそ、ゴッホとかの大巨匠ならいざ知らず……。
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美術館の学芸員さんも常々「解説は、本来ならあまり目立たせたくない」と言います。それも、作品へのリスペクトがあり、作品そのものをまずは味わって欲しい気持ちから。けれど、それだと「味わいを受け取れる人」の分母が減ってしまうのです。
まずは、易しい解説から入ってそれから鑑賞をする。鑑賞者からしたら、その方が絶対的にハードルが下がります。
それを繰り返すうちに、だんだんと、解説無しでも自力でアートを鑑賞して「おもしろい」と思えるようになっていくのです。
(そうなると今度はその先に「もっと詳しく知りたい」気持ちで解説を積極的に読みたくなる時期も訪れます!)
自分の中で「アートを味わう力」をゆっくりと、養う。
まとめるとなんだか傲慢に聴こえてしまいますが、この蓄積する時間もまた、なかなか良いものです。
私は、毎年、毎年
「去年より今年の私の方が美術館行くの楽しんでる!」
と思っていますよ。
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今週もお読みいただきありがとうございました。
「アートと知識」に関しては、個人的にも興味のある話題なのでまた別の機会にもお話ができたらなあと思います。
今年も残り2ヶ月。あと何回展覧会に行けるかな。
◆次回予告◆
よみきりエッセイ『おとなになると、歯医者さんは優しい』
それではまた、次の月曜に。
*宇佐江みつこのアートよもやま話。その他のトークはこちら↓