(短編エッセイ)野生の勘休み/電車の中で
野生の勘休み
休みなんだけど、休みじゃない。
そんな生活を送って早8年くらい経つ。
noteの自己紹介文にある通り、漫画家・イラストレーター兼ふだんは美術館職員である私は、出勤日以外の日を制作にあてている。その全てが収入に繋がるものではないが、学生時代から一度も自分が絵を描く行為を「趣味」と思ったことは無いので、たとえ依頼されていない作業をしていても、意識の上ではやはり仕事モードである。
たまに取材だったり、美術館巡り(これは半分仕事で半分趣味)や買い物等の用事をまとめて行う「おでかけ日」を作るが、それ以外は基本制作デー。1ヶ月先くらいまで、この日はこれとこれを描く、みたいなのを手帳に書き込んである。こんなふうに書くとまるですごいシゴデキ人間みたいだが、実際は、真逆な性格だからこその対策である。
元来私はぐうたらで、尻が重く、やるべきことをなかなかやろうとせず基本後回し。
「ちょっとのんびりしてから、描ーこうっと」
なんてダラダラと次の旅先を調べたり、YouTubeを流し見したりしてすぐに取り掛かれば半日で終わるだろう制作に丸1日をかけている。その、自分のぐうたら時間を見越してのスケジュールだからこそ、休みが常に休みでなくなる。
このままではいかん。
そう思い立ち、「ノー制作デー」を作ってメリハリをつけようと、手帳にあらかじめそれを書き込んだことが幾度もある。が、なぜかそういう日に限って何か描きたくなり、抗えなくて結局机に向かっている。
そんな私の行き着いた休みの取り方がこれである。ずばり、「野生の勘休み」。
いつもなら朝昼兼用ごはんを持ってアトリエにこもるのに、どうしてか、目覚めてすぐテレビをピッとつけてゴロンとする日。そのままテレビ前でごはんを食べ、昔ハマった連ドラの録画を1から最終回まで一気見したり猫たちの腹を撫で、ひたすら寝室兼居間で脱力状態のうちに夕方を迎える。アトリエには一歩も入らないし家事もしない。そんな、完全なるオフモードが私の場合、なぜか唐突にやってくる。
生理前などの明確な理由の時もあるが、身体的、もしくは精神的な疲労がたまった瞬間を体が教えてくれているのだと思う。それを私は「野生の勘で休む」と呼び、そういう日は自分に最大級の堕落を許す。その日描くはずだったものや出かける予定は別の日にリスケする。そのために、あらかじめ緩めな計画を立てている。
本当は、野生の勘ではなく「明日は休みだから思いっきり休むぞ~!」のわくわくから楽しみたいのが本音ではあるが、あ、今日はそういう日だ、と自分で気づいた時の、やらねばならぬ予定を手放す解放感もまた禁断的に心地良い、癒しである。
電車の中で
地方の美術館へ行く途中に乗り換えたローカル線で、目の前の6人掛けシートに男子高校生が7人座っていた。仲の良いことに、1人は友だちの膝に乗っている。全員でスマホのゲームに大盛り上がり。空いた車内と、車窓からの眺めも美しくて、平和な午後だなあ~とのんびり思っていた。
しかし、途中から私はあることが気になり始めた。
男子高校生の右端に座っている子が1人、ずっと咳払いをしている。かなりの頻度だったので腕時計を見ていたら、15秒に1回のペースだった。マスクはしているがそれは他の子もしているし(私も感染症予防でしている)、風邪のような苦しそうな咳ではなくて、一定のリズム。つまり、これは彼の癖なのであろう。
私も気管支弱い系だからわかる。常日頃から喉がつまるような感覚があるので、それを晴らすために「ゴホン」ではなく「ヴ、」とか、「ヴヴン!」みたいな音を発するのがすっかり癖になっている。というか、呼吸をするのと同じくらい本人にとっては自然な行為なので意識すらしないことが多い。昔、片想いしていたバイトの先輩とふたりで作業していた時、緊張からか咳払いが出てしまっていたらしく、それを指摘され(先輩は気を遣って咳払い、色っぽいねと言ってくれたのだが)顔から火が出そうに恥ずかしかった。
そして時に、咳払い癖は恐怖にも繋がる。
忘れもしない小学生の頃、すれ違ったおじさんに突然振り返られて「おい、何咳払いしてんだ」と自転車で追いかけまわされたことがあった。こちらも自転車だったので全速力で逃げながら「すみません!」と言い続けて何とか解放されたのだが、もともとちょっと変なおじさんで、私がしていたらしい咳払い(←無意識)が自分へ向けた挑戦だと、勘違いしたらしい。そんな馬鹿な。だって10歳くらいの女の子ですよ…。
あと、葬儀屋に勤めていたころの司会。
弔電の読み上げは毎回試練だった。その時はお経もやんで会場じゅうがシーンとなるので大変な緊張感と、読み間違えてはならないというプレッシャーでいつも以上に喉の不快感が高まる。咳払い衝動を我慢するため動悸までした。慣れてくると弔電の読み上げ直前のチンポンジャン(鳴り物と呼ばれる、激しい音が数十秒続く)の間にマイクを切ってこっそり咳払いしまくる技も覚えたが、未だに、弔電の読み上げ場面はときどき夢にみる。ちなみに、チンポンジャンは禅宗系のみなので本願寺の式ではこの技は使えない…。
かように、咳払い癖のある人間はそれなりに苦労や努力をして、他人に不快感を与えないように日々気をつけて過ごしている。
ふたたび右端の彼を見た。咳払いにまだ全然遠慮がなく豪快に「ゲヘン!」と繰り返しているところをみると、まだ彼は、この癖で恥ずかしい思いや恐怖を経験していないのだ。一緒にいる他の6人もまったく気にしていない様子。気づいていないはずがないから、皆、指摘せず優しく彼の喉を見守ってくれているのだろう。
途中の駅で1人降り、2人降り、最後に私が降りるのと同じ駅で咳払い君と友だち1人が揃ってホームへ降りた。仲良さそうにしゃべりながら遠ざかるふたりの背中を見送り、私はくるりと背を向け美術館へと向かった。
(表題イラスト/©宇佐江みつこ)
*
*
*
今週もお読みいただきありがとうございました。8月後半はこの「野生の勘休み」がかなーり何度もやってきて、何故…と思っていたのですが、9月になり振り返れば、8月は世の中みんな大変でしたよね。宮崎で大きな地震があって南海トラフ注意報が出て、飲料水がなくなって、台風が長居して、今度は米がなくなって…。台風過ぎてちょっと涼しくなったと思いきや、また酷暑。皆様も、どうぞご自分に正直に、休暇をご堪能ください。
◆次回予告◆
『思い出ごはん➃』
それではまた、次の月曜に。
*こんな日も私の「休日」。↓
*その他の短編エッセイはこちら↓