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美大のスケッチ旅行、酒と泪と長い夜ーおでかけがしたい。⑦ー

私の行った美大では、毎年春にスケッチ旅行があった。油画専攻(1クラス25人)の1、3年生と2、4年生に分かれて福井や新潟、長野などを交代で訪れる。この年、私は2年生で福井に行った。

屋外制作の記憶以上に鮮烈だった長い長い夜のできごと。

今回はそんなお話。


※今から15年以上前の日記からの抜粋ですので、色々大目に見ていただけますと幸いです。また、残念ながら写真は残っておりませんでしたので、今回は文章のみでお楽しみください。


1日目

福井県越前海岸。

スケッチ旅行は毎年天気が悪いというジンクスがあるのに、何故かこの年は快晴。というか雨がほぼ降らなかった。基本が曇り空の北陸地方ではそれで充分「晴れ」である。

大部屋で持参の昼ごはんを済ましたあとは自由行動。友人たちと防波堤にのぼる挑戦などをしながら散歩をして、徐々に描き場所を見つけながら散らばり、最終的に私は旅館の脇にあったスポ根漫画に出てくるような大階段の踊り場スペースにイーゼルを立てた。地面をはうアリが気がかりだったが、描いているうちに気にならなくなった。夕飯の時間までに下地作業をする。


夕食。「量が多い」と噂には聞いていたが、本当にとてつもなく豪華で、とんでもなく大量だった。お刺身、にんじんとタケノコの煮物、シチュー、魚の丸揚げ、粕漬、あら汁、サザエ。女子はほとんどが何皿かを残すなか、よく食べるUさんが完食しているのを見て、私も根性で時間をかけて食べきった。美味しかった。
そして案の定、夕食後に宴が始まった。

美大に入って2年目。他専攻のことはよく知らないが油画専攻はめちゃくちゃ飲み会が多く、なにかにつけて大騒ぎ。当時私はまだギリ19歳だったのでお酒は吞まなかったが、美大では半数が浪人生だったので同級生たちもガンガン盛り上がっている。1時間ほど付き合って、その後は呑まない友人と空いているうちに風呂に行った。一応温泉らしいが、ふだん狭いアパートの湯舟に縮こまっている私は広い風呂というだけでもじゅうぶん嬉しかった。


2日目

朝8時。昨日の夕飯同様、かなりハードな朝食。けっこう味付けも濃いめ。しかし「個人的ごはんを残してはいけない思想」から、またも頑張って完食した。

食休みして10時頃旅館を出た。本日も快晴。
昨日の場所で続きを描く。筆も進み、屋外写生が基本的に嫌いな私も「楽しいなあ」という気持ちになるほどで、つい調子に乗って母にメールを送ったりした。母からは、いつもに増してシンプルな『充実してますね』のひとことが返ってきた。



ところが、そんなメールの直後から急に天候が怪しくなった。手前の樹の葉に当たっていた光が消え、空はどんどん白くなっていく。あっというまに雨が落ちてきたが、油画だし、多少は濡れても平気で制作を続けた。が、10分経ってもやまない。
ふと見ると、近場で描いていたクラスメイトが階段を下っていくのが見えたので私も荷物を片し始めた。

戻った旅館の玄関には、同じようにとりあえず濡れたら困るものだけを持って退避してきた仲間たちがいた。
「この雨はすぐやむ。」
と、漁師もされている旅館のおじさんが宣言していたのでその場で待機しても良かったが、私はちょうど昼時だったので部屋に戻り弁当をたべた。おじさんの言う通り、食事を終えたころに雨はやんでいた。

雨の前にはなかった風が出ていたが、とりあえず制作を再開した。午前中のような絶好調の気分は若干しぼんでしまっていたが、今夜は合評(作品を並べて教授に観られる)があるので、夕飯の時間ぎりぎりまで粘った。

豪華魚介類太っ腹ディナー・2日目。流石に意地を張って胃の限界を試すのはやめ、今夜は適量をたべた。
食後。8時過ぎから始まった合評はかなり長時間になり、終わったころには眠気がさしていた。しかし、どんなに遅くなろうと飲み会はなくならない。
深夜0時から、2夜目の宴が始まった。

今夜はすでに風呂を済ませてパジャマの下にジーパンをはいて参加した。実は、私はいちおう「新歓委員」という催しものの際の幹事役メンバーに選ばれており、本来ならあれこれと動かねばならぬのに、不本意な成り行きで選出されたのと人見知り(当時)も相まって飲み会が毎回非常に嫌で、前夜もとっとと寝に行ってしまったのだが、そのぶん立ち回ってくれた同じく新歓役の友人、A子に流石に悪いと思い、この日は覚悟を決めてお開きまで手伝うつもりだった。

A子は大学に入りいちばん初めに仲良くなった友人だった。関西出身で一浪していたA子は私の1個上で、初対面のとき、
「あの…敬語とか使ったほうがいいですか?」
と馬鹿正直に尋ねた私に対し「そんなんされたら余計腹立つわ!」と笑った。顔立ちのはっきりした美人だが言動は男前で、一匹狼的な行動も多かったが社交場の義理は通すという、古風なところがあった。
「飲み会というものはやりたい本人が好きにやれば良い」という考えだった私には、先輩に気を遣うとか「飲み会を手伝う」ことの意味自体よくわかっていなかったが、反対に、A子はものすごいエネルギーで色々なことに気を配りまくっているのが傍目にもよくわかった。

ひとり、ふたりと抜けて風呂や寝に行くなか、素面のメンバーとオレンジジュース片手にぼんやりしていると、同級生のMちゃんがなにやら廊下で慌てていた。「どうしたの?」と声をかけると、吐いている奴がいるから雑巾が要ると言う。
「誰が」と聞くと、それはなんとA子だった。ついさっきまで先輩の席をぐるぐる回りながら大声で盛り上がっていたのに。その場にいた友人と一緒に、畳の上でぐったりしているA子のもとへ駆けつけた。

ふつうなら飲み会で酔ってゲロって倒れても本人の責任と考える私だが、その日のA子がこうなってしまったのは、明らかに我々が幹事役をサボってA子ひとりを頑張らせてしまった結果だと、その場の誰もが考えた。
妙にしんみりした空気になった。
洗面器を持たせようと動かしたら「気持ち悪い~動かすなぼけ~ころすぞ~」とうわごとのように叫ぶA子に「ごめんなーごめんなー」と、Mちゃんがしきりに謝っていた。皆でA子を上階まで運び、汚れた服を着替えさせ、布団にビニールシートを敷いて寝かしつけた。

下階に戻ると、宴会はまだ続いていた。私はそこで、噂にきいていた同級生K君の泣き上戸を初めて目撃した。涙を流しながら真剣に先輩に向かって対人関係の悩みを告白する彼を見て、A子といい、酒は魔物だと思った。


3日目

片付けは手伝いたいのでひたすらお開きを待っていたが、酒の席でそのような我々の存在は逆に邪魔だった。騒ぎに自主的に加わりつつも正気だった同級生のHさんにその場を託し、騒がしい宴会場と寝息だけが響く和室との間の階段でプリッツを食べながら、中々読み進まない三島由紀夫の『愛の渇き』を少し読んだ。

明け方5時ごろ。
下が静かになったので降りていくと、片付けの最中だったので手伝った。先輩たちは倒れていたり、すでに寝室に引き上げていた。残っていた2年の同級生はほとんどがシャンとしており、私は感動し、大いに感謝した。

今寝るとやばい、と思ったのでそのまま外に出て早朝の海岸を散歩した。途中、クラスメイトのO君が画材を抱えてこちらに来るので、
「こんなに早くから描くの?すごいね」と声をかけると、
「いやー…同じ部屋の先輩が吐いた上に粗相して。なんかもう、部屋にいたくなかったからさー…」

お母さん、美大はなかなか壮絶な場所のようです…。

朝になり、目覚めたA子は気分も悪くないらしく、しかも前夜の記憶をすべてなくしていた。
「うそ!そんなことしたん!?うち!!うそや!!!」
自分の失態を恥じながらパニックになるA子の大声で、すやすや眠っていた同級生たちが何人か起きてしまった。なにはともあれ、体調を悪くしてなくて良かった。
朝食の場で、昨夜のA子をネタにされないよう、私とMちゃんとでA子をガードして座ったが、今朝は皆起きられぬようで半分にも満たない数しか来なかった。そんな中、2年生女子だけは全員ちゃんとその場に来ており、その逞しさをあらためて誇らしく思った。

合評も昨夜終わったので午前中はもう描く気になれず、同じ気分の仲間たちと連れ立って海に触れるほど近い岩場で寝転がったりして、越前海岸での最後の時を過ごした。この日が3日間の中でいちばんいい天気だった。

帰りのバスで、同級生のUさんが現地で描いた絵を旅館のおじさんがえらく気に入り「4万円で譲ってくれないか」と言われたという話を聞きながら、私はいつのまにか深い眠りに落ちていた。





今週もお読みいただきありがとうございました。私の通った美大はお酒好きが多く何かにつけて呑んだくれていたので当時の(素面だった)私はかなり辛辣なことを書いてますが、社会人になり、私もお酒をたしなむようになると連日上司と飲み歩き、盛大にゲロって汚れた服のままタクシーにも乗れず真夜中に自宅まで1時間以上歩いて帰った失敗談もあります。皆様、お酒は適量に。

◆次回予告◆
『雑事記⑦』先日、生まれて初めてアートを「購入」した。学生時代は作品をお金として考えることに抵抗があったけれど、描くことで食べてゆけることは私の最大の夢でもある。創作物を「金額」に変換しなければ渡っていけない現実と個人的な思いとの葛藤のお話。

それではまた、次の月曜に。



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