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甘いピザと赤いオレンジジュース【10万円で思い出ごはん②】

我が家の交通手段に「車」が加わったのは、私が小学校低学年の頃である。

それまで、40代前半とまだ若かった父と母は、幼い私と弟を連れて、片道30分でも1時間でも自転車で出掛けていた。行く場所といえば、ほとんどが「ちょっと広めの公園」。遊園地にはまったく興味のない一家だったので、きれいなお花が見られて、手作りのお弁当が食べられるベンチか、芝生があればそれでこと足りる安上がりな週末をよく過ごした。
それが、祖母が人工透析の為定期通院を始めたことにより、母が車に乗り始め、家族の「おでかけ」に変化が生じた。

眩暈もちの父は免許を持っておらず、運転手は母ひとり。決して運転がうまかったとは言い難いので高速には乗らずに日帰りできる範囲の「遠く」まで行くことが可能になり、その中でも
「今日はいっちょ、あそこ行くか」
と気合いを入れてでかけた場所が、隣県にあるNの里だった。

いったい何年ぶりに来ただろうか。
というか、公共交通機関で来たのは初めてなのでえらく遠く感じた。JRの最寄駅から徒歩30分、Nの里に近づくと、軽快な音楽が聴こえてきた。
まず入り口で入場券を買う。
一般料金2,500円。それに、園内の飲食店やお土産屋で使える1,000円ぶんのクーポンが付いてくる。昔はもうちょっとクーポンのお得感があったような気がするが…このご時世、値上げしているのかもしれない。

Nの里は温泉や遊園地、アウトレットなどもある複合リゾートの一部で、季節によって咲く美しい花々とイルミネーションがウリである。余談だが、私の幼馴染がプロポーズを受けた場所は、Nの里の駐車場だったと彼女の結婚式で知った。しかし、私はイルミネーションに一切興味がなく、両親も同様だったので夜に来たことは一度もない。

まずはレストランへ。和洋中、さまざまなレストランが集う一角があり、来るといちおう「どこにしようか」と迷うふりはするのだが、保守的な我が家はたいてい冒険せずいつもの店に入る。Nの里に初めて来た頃はバーベキューの店がたしかあり、そこを贔屓にしていたのだが、後にその店がなくなって以降はイタリアンの店が定番になった。
平日の午後3時、中途半端な時間ゆえ広い店内にはウエイトレスさんふたりと、私だけ。窓際のすみっこに座り、おもむろにメニューをひらく。

この店で、私は人生で初めて口にするにメニューにふたつ出会った。

今では当たり前のピザだが、当時はマルゲリータやてりやきチキンなど、バリエーションは様々でもピザというのは「おかず味」なのが常識と思っていた我が家の前に突然あらわれた、具のないピザ。食べるとなんと甘い。なんだこれは!?ゴルゴンゾーラのクセもあり最初は「ゲッ」と思ったけれど、食べているうちに全員が
「なんか、意外とおいしいねこれ」
と不思議にハマった。現在のメニューにもちゃんと記載があったので注文した。
もうひとつは「赤いオレンジジュース」。ブラッドオレンジジュース、という耳慣れないジュース名をみて、頼んでみたいと言ったのは私だった。果たして、テーブルに到着したのは真っ赤な、トマトジュースみたいな見た目の飲みもの。
「ほんとにこれがオレンジジュース?」
と妙な気持ちでストローに口をつけると、グレープフルーツジュースのようなほろ苦い、でもオレンジジュースっぽい酸味と甘みもあってその絶妙なバランスがすっかり気に入ってしまった。当時は、他の店でブラッドオレンジジュースなどというハイカラなものを目にすることはほとんどなかったので、私にとっては「Nの里に行かないと飲めない」特別なジュースだった。
残念ながら、今のメニューには見当たらない。一応、「バレンシアオレンジジュース」というのがあったので頼んでみよう。

まずオレンジジュースが来た。しかし、やはり予想どおりいたってふつうのオレンジジュース…。残念だが、仕方ない。ストローで吸いながら窓から庭園を眺めていると、
「お待たせいたしました」
店員さんが運んできた大皿に思わずぎょっとした。
デリバリーピザのLサイズくらいあるんじゃないだろうか。いつもは家族で頼んでいたので気なしだったが、ひとりで食べられるか……?ピザ切りカッターで、ギコギコと生地を8等分に切り分けていく。具がないので切りやすい。ひときれ、ぺらりとしなる生地を持ち上げ、口にいれる。

ああ、甘い。これだ~。

たっぷりかかったはちみつと、クセのあるゴルゴンゾーラのなんとも言えないマッチ。我が家の初めての味。食べきれるか不安だったが、薄めの生地だったのでぺろりと食べきってしまった。
しかし、口があまあまになってしまったので、レストランを出てちょっと散歩したら、すぐに「松阪牛コロッケ」の揺れる旗に誘われて買ってしまった。ついでに、いつも必ず寄っていたお茶屋で安永餅のセットも。
お茶を飲みながらNの里の景色を眺めていて、ふと、気づいた。


Nの里に行く回数が次第に減ったのは、おそらく入場料が高かったからだなあ…。


クーポンがついててお得~とか子どもの頃は思っていたけれど、財布を握っている母からしたら、家族4人、結構割高なおでかけ先だったに違いない。園内に昔からある「ベゴニアガーデン」にも、一度も入ったことがなかった。亡くなったおじいちゃんがベゴニア、好きだったよね~とか、通り過ぎながら話したりして、
「たまには中入ってみる?」
と母や父の横顔に尋ねてみても、「ま、今日はいいわ」とやんわり却下。今ならわかる。ベゴニアガーデンに入場する為には、別途ひとり1,000円也がかかるのである…。


あちこちに地ビールの旗が揺れていたが、ここで呑んだ記憶がないのは、私がおとなになってからはほとんど訪れていない証拠だ。
まだ、親の行く場所に何も考えず付いていった10代の頃の自分。
そんな場所だから、すっかりおとなになって久しい現在に訪れても、なんか「呑みたいなあ」という気持ちが不思議とわかない。

飲めなかったブラッドオレンジジュース。

きっと、私が作った思い出ごはんリストには、もう今は口にできない食べものや飲みものが他にもあるのだろう。急ぐ必要はないけれど、また近いうちでかけなきゃ。10万円はまだまだ、ある。

お父さんお母さん、今回もご馳走様でした。


思い出ごはん②
・飲食代、お土産、交通費、入場料(うち1000円クーポン)
…合計5,980円(残金86,820円)
※金額は2024年現在のものです。

イラスト/©宇佐江みつこ




今週もお読みいただきありがとうございました。またも月曜に遅れた私に、天から母のお叱りが聴こえてくるようです……。(お待ちいただいた方、申し訳ありません)

次回予告◆
夏のおすすめ、高原の美術館!

それではまた、次の月曜に。


*思い出ごはん。10万円の経緯はこちら↓




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