noteは鮮度が大事ということと、映画「羊と鋼の森」をみました
少し前に立て続けに2本ほど更新したのち、ぱったりやめてしまった。
山口への帰省やら、作業がたてこんだりやらなんやらあった。
でも、その間相変わらず私はSNSウォッチングに勤しみ、さまざまな投稿やニュースに心踊らせたり心を痛めたりしていた。
「これを、記事にしよう!」と思って下書きをいくつもためた。
さっき、続きを書こうと思って下書きを呼び出したけど、全然続きが書けなかった。かなりぐっとくる言葉を引用していたはずなのに、何にそんなに涙したのか思い出せない。
どんなに稚拙でも、どんなに短くても出さなきゃ意味がない。くやしいな。
愚痴はそこそこに。
昨日は夫と映画を観に行った。
6月のはじめに文庫本を買って一気に読んだ。はたらくことや生き方について少なからず悶々とした日々を送る私には、主人公・外村青年の素朴で純粋に打ち込む姿、楽器店の先輩、師匠、双子など、彼と調律をめぐるさまざまな人との関わりのあたたかさ、ひたむきさが眩しくて、言葉がしんしんと沁みた。
映画を観てよかったと心から思う。原作では言葉で紡がれたその美しさや静かさが、映像になると際立っていた。外村青年の成長、という意味では個人的には原作の方がよりよく描ききっていると思う。だけど、調律師としての彼のあり方を支えている北海道の雄大な風景を、大きなスクリーンでたっぷりと堪能できたのはとてもよかった。ああ、この自然あってこその外村くんなのだと感じ入った。基本的にはピアノの曲しか流れない静かな映画だけど、世武裕子によるピアノ編曲によって静かな世界にほんの少しおちゃめな彩りが加えられるのが味わい深かった。
「何に向いているか」「何をやりたいか」ばかりに気を取られがちなのだけど、私はそういう考え方はちょっと「ちゃらい」と思ってしまう。(自戒をこめて)(いつまでも「やりたいこと」探しに終始してしまうのが、ちゃらい ということ)これと決めたらやりぬく、という力強さはきっと私には(まだ)なくて、狭義での先達も少なくて、うろうろうろうろ、している。外村くんがうらやましい。