ウイバナ考M1 Purpose - 青春群像 -
この記事を書こうとしたことを後悔するくらい、はじめからとても難解だった。(ー_ー;)
では、
【あくまでド素人の感想です】\_(*・ω・)ハイ、ココネ、ココダイジ!!
「終わらない青春歌っています、ウイバナです」というおなじみのサキマルさんのアナウンスからはじまるライブであるが、その1曲目に「Purpose」と題したこの曲がやってくる。青春を語る目的を歌う、と言うのだ。まるで学術論文のintroductionを置くような論の緻密さである。
はじまりはギターとサキマルさんのボーカルで静かに、落ちサビ(?)のようにはじまる。フレーズの終わりにサキマルさん独特のビブラート(声を震わせていることは間違いないが、どうしても他のビブラートとは同じ歌い方に聴くこえない)が静かに響くとともに、これがどれだけのパワーを持っているか、「徐々に聴かせますよ」という予告のようでもある。
唱歌のように無垢なユニゾン。そしてまたサキマルさんのソロ。
「叶えてく旅」
プロには失礼な話だが、この最後の「旅」の「音程取るのは難しそうだな〜|ヽ(-_-;)o」と思っていつも見ている(大きなお世話)。
そして静けさを激しいドラムスがかき消す。
私が生まれる前からあるような、演劇の手法を取り入れたドタバタ劇の映画のオープニングを彷彿させる。
そう、スタッフさんはどうみても私より若いように見えるのだけれど、今までの印象としてウイバナは全般的にこのテイストをコンセプトにしているかのような。
あまり詳しくないのだが、又吉直樹の「劇場」で描かれていたような日本の演劇に近似するものを1つの要素としてウイバナのステージには感じる。
そして、軽快にAメロはソロの連携、Bメロはユニゾンとソロの掛け合い。
そして冒頭のサビを今度は激しく。ダブルバスドラ(アイドルの曲は多いですよね〜)まで駆使して激しく。
冒頭で提示された「叶えてく旅」で予定調和……と油断していると
「大人げもなく」
と、さらにエモさを増した続きがあってびっくり。(゚Д゚)
「恥ずかしげもなく青春。唄ってやる」
のサキマルさんのロングトーンでキャーっと叫びたくなる。
。゚キャ━(〃゚ω゚〃)━ッ♪♪>
最初の悩みどころ。この8小節なんだ?エモさからいったらBridge(Cメロ)級である。でも、まだ1番。1番からCメロなんて聞いたことがない。( -_-)
冒頭と共通部分のサビの最初の8小節をサビAとして、この8小節をサビBというのが妥当だろう、という結論に至った。2番では「出し惜しみもなく……」がサビB(2サビB)となる。この終わり「何も終わらない、何も何も」に今度は被せて「どこか退屈で……」とはじまるのがCメロということになるのか。この中の
「震える声で……」
というのはまさに歌っているサキマルさんのビブラートのことか?と、自伝性を持たせている。
それからサビAとなり、1サビBを繰り返す。このロングトーンで普通なら終わるところだが、なんと、コーダがある。
「ぼくらがここにいたこと」
というサビAのフレーズをベースに
「10年前」「10年後」と穏やかに語りかけたフレーズを
「青臭くて、熱苦しく、……」とアグレッシブに変えて、サビBよりおとなしかったサビAを劇的に作り替えている。なんとも壮大で、凝った構成である。
それでいて、そんな理屈を意識することなく、ただただエモさを感じることができる。音楽の魔法である。
ウイバナのパフォーマンスの魅力の1つ、主要な部分は言うまでもなく、歌唱のよさである。サキマルさんはもちろんだが、他のメンバー、シグマさん、マクマキさん、ユラァさんみんな個性的な歌声である。そしてユニゾンのよさ。平均的なアイドルのスキルだとデュエットがせいぜい、全員のユニゾンはなかなかそろわないことがほとんどだ。大人数のグループではユニゾンパートはカラオケで被せて口パクにしているところも珍しくない。
4人と比較的合わせやすい人数ではあるけれど、あれだけのダンスをしながらだとなかなかうまくいかないところ、ウイバナは難なくやってのける。
そこから4人それぞれのソロパート、デュオ、ユニゾンとたくさんの掛け合い、バリエーションが生まれる。
「唄ってやる」のロングトーンはサキマルさんとシグマさんのソロ、「唄ってゆく」はサキマルさんとユニゾンの対比が絶妙である。
本当に息をのみ、ため息がでるようなパフォーマンスである。
「青春を唄う」という、あまりにも明確過ぎるコンセプトを提示しているウイバナさんが、その決意を示すという、これまた明確すぎる目的(purpose)をもった、とても珍しい楽曲である。それは「青春」を語ると言うことにどれだけ葛藤があるか、ということの裏返しでもある。
正直、私もこのコンセプト(昔話のことはよく知らない)を目の当たりにしたときに超絶なパフォーマンス力でなぜこのアナクロニズムをするのか首を傾げた。
「青春」というとなにを連想するか。
「青春時代」という森田公一のヒット曲。しかし、ヒットしたのは私の上の世代であって、自分には響かなかった。
昭和の中村雅俊がよく主演した「青春ドラマ」も子供ながらに嘘っぽく感じていた。なぜ短慮で未熟な世代をそんなにありがたがっているのか?昭和の垢にまみれたもの、という印象しかなかった。
なにかカタカナで言い換えられたら今風に語り継がれたのかもしれないが、どうもうまい言葉が見つからない。
「ビバリーヒルズ青春白書」なる流行もあったが、ちょっと趣が違いすぎた。
そんな風にあなどっていたら、大人になって、職場で上司に急所を突かれた。
「あなた、青春時代になにか追求しようとか、してこなかった人でしょ」と。ぐうの音も出なかった。
人生のなかの大切なものに向き合っていないことを思い知らされた。
言い訳のようにMy Little Lover のHello, again にある
「自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きている訳じゃない」
といういかにも90年代らしい世相の歌詞をrefrainしていた。そんなごまかした人生は、それ相応の結果となるもので、案の定、ただ生を漂流するだけの
老人となった。
そんなこともあり、ウイバナさんに出会ったころは、「青春」という言葉が古傷に沁みて目を背けたくもなった。それでも視界に入ったウイバナさんのパフォーマンスは私を引きつけていった。「青春」にむかう勇気を後押しする。葛藤を払いのけて、サビB、Cメロ、コーダまで構成して、畳みかけるように青春を語る決意、覚悟を謳うこの曲は私の逡巡を払拭してくれた。
この曲は前述のように、テーマの導入の役割を担って作られているが、重厚な構成で完成度が高いので、導入に限らずウイバナのステージのどの部分でも構成できる。ライブの最後にもってきてもまったく矛盾しないのである。これは、まったくコンセプトとテイストは違うが、未完成リップスパークルの「私信津々恋愛CHU」という「キラキラに素適なステージがはじまる」と、オープニングを煽る曲が、ラストにもってこられるのに相似する。どちらも構成要素が極限まで吟味されているのと、楽曲の完成度の高さがなせる技だと考えられる。
そんなこんなで、なんとか1曲目を聴き切ったのかな?と思う。
どうしても答がでなかったのは歌詞の表記の鉤括弧(「」)である。
「あの日、あの人に出会っていなければな」
「いつからか僕ら、オトナになってしまったな」
このフレーズをなぜ鉤括弧でくくらなければいけないのだろうか?
そのまま歌い手の述懐としていいセリフだけれど、違うのだろうか?
鉤括弧でくくるということは、セリフ自体が誰かの言葉で引用なのか、強調なのか?それを読み抜く力はなかった。
1曲目で1週間以上かかった。全曲できるだろうか?できるとしたら、終わるのは次のワンマンになるかも知れない。