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外交 ヘンリー・A・キッシンジャー
昨年末、アメリカの元国務長官、ヘンリー・A・キッシンジャーが100歳で亡くなったというニュースが飛び込んできた。様々な異名を持つ彼だが「20世紀の世界をデザインした男」という、そのひとつが示すように、本人もちょうど1世紀の天寿を全うしたというのも感慨深い。
彼が現役の国務長官時代、私はまだ幼かったのでほとんど記憶がない。ただ、引退後、何年か連続で新春番組としてNHKが”キッシンジャー世界を語る”という放送をし、それを毎年家族で見ていた。新年の国際関係をNHKのアメリカ支局長が1対1でキッシンジャーにインタビューするものである。そこで語られる明晰さにはいつも舌を巻いた。
「世の中にこんなに頭のいい人がいるのだな…」
「ユダヤ人ってうわさどおりに頭がいいんだな……」
子供ながらにそんなことを考えながら見ていた。
そして学生の頃、彼の著書、そのものズバリ「外交(Diplomacy)」を買った。しかし、それが1章をこえて読まれることなく、5回の引越に振り落とされずに本棚に鎮座していた。彼の訃報を耳にし、その本を思い出し、今年の新年の課題図書とした。それが夏休みの読書感想文の宿題となり、来年のカレンダーが発売される季節なり、やっと読了した。
とにかく圧倒的な知力、intelligenceである。
「反知性主義」なるものが吹き荒れる昨今、それを一掃するかのように知の力を見せつける著作だ。
記述は「現代のはじまり」と言われるナポレオン戦争後のヨーロッパ外交から始まる。リシュリュー、メッテルニヒ、そしてビスマルクと、世界史で出てきた「歴史上の」政治家の外交が脈々と現代につながるさまを述懐する。そこでは彼らは「過去の人」ではない。まるで今、自分が対峙する交渉相手であるがのごとく人物を浮き上がらせ、そしてその外交政策を克明に分析している。彼が国務長官として政策履行にかかわるとき、これらの歴史の鍛錬を積み重ねた上で臨んでいたのだからそら恐ろしい。先日、日本の首相や野党の党首が替わったが、今まで日本にキッシンジャーのような圧倒的な知性をもった政治家や閣僚はいただろうか?このような天才たちを国際社会で相手にしているのだから日本はよく今まで無事でいられたものだと度重なる幸運に感謝するしかない。
前述のNHKの番組「キッシンジャー世界を語る」のなかで、キッシンジャーは日高義隆NHKアメリカ総支局長の質問に
「私は政治家ではない、歴史学者だ」
とよく答えていた。日高総支局長がキッシンジャーに呼びかけるときも"Dr. Kissinger,"、”キッシンジャー博士”であった。彼の変わらぬアイデンティティーは「学者」なのだ。
政治家達が世界秩序の問題をいかに処理したか、それがうまくいったか失敗したか、そして、どうしてそうなったかということを検証することは、現代の外交を理解することの終わりではなくて、たぶん、その始まりなのである。
ややもすると日本では「学者はものは知っていて口は立つが実際に役に立たない」「理論と実践は別」と揶揄されるが、彼の学識の深さはそれが誤りであることを見せつける。
そしてその含蓄の効いた政治や政治家に対する洞察はマキャベリを彷彿させ、使われるアナロジーやレトリックはこれまた巧みだ。
軽々しく動くことは政治家にとっては高くつく道楽であり、そのツケはいずれは支払わねばならないものである。
ナポレオンの悲劇は、野望がその能力を超えていたことである。ビスマルクの悲劇は、彼の能力が当時の社会が受容できる水準を超えていたことである。ナポレオンがフランスに選した遺産は、戦略上の疲弊の状況であり、ビスマルクがドイツに遺した遺産は、消化し切れない偉大さであった。
一国の元首が交渉の細部にまで立ち入ることはほとんどの場合、必ずといって誤りである。
このような知性を武器に20世紀の国際政治を動かしてきたキッシンジャーではあるが、彼は決してエリート主義者ではない。アメリカの立てた南ベトナムの指導者ディエムをこう評している。
ディエムの性格の特色は、ベトナムの儒教的な政治的伝統が混入していたことである。真実は意見の衝突から生まれるものであるとする民主主義の理論とは異なり、儒教においては、真実とは客観的なものであり、ごく少数の者が受けることが出来る厳格な学習と教育によってのみ見分けることが出来るとされていた。その真理の探究においては、民主主義の理論のように、異なる意見を同等の価値があるものとは扱わなかった。
やはりファシズム吹き荒れるドイツからアメリカに渡り成育したキッシンジャーにとって、民主的なプロセスはどんなにまどろこしくても失ってはいけないものとして捉えられていたのだろう。
もっともアイロニックなのは、キッシンジャーはこれだけ歴史的継承をして冷戦時代の外交を担ったのに、その冷戦の幕引きをした大統領は、
レーガンは、ほとんと歴史を知らなかったし、彼が知っているわずかのことは、彼の強い先入観を支持するために用いられた。
という人物だったことだ。レーガンの知っている聖書の終末戦争の逸話、そう言えばナンシー・レーガン大統領夫人の占星術でアメリカ政治を占っていたというスキャンダルも思い出せば、国際政治もスピリチュアリズムなのか、という嘆息しか出ない。そうならばまさに"God Bless America"である。レーガンはその俳優としてのキャリアを活かして神の国の長を”演じた”のであった。
記述されている国際政治の歴史がヨーロッパが主体であったことを読み進めると、アジアがいかに傍流であったかがわかる。とはいえ、わずかながらでも日本について言及したところは日本人としてはどうしても気にかかる。
日本は何千マイルも離れたアメリカとその外交政策を一致させることが出来た。しかし新しい世界秩序においては、多種多様な問題に取り組まなければならないので、かくも誇り高い過去を持つ国が、唯一の同盟国に依存することを再検討せざるを得なくなることはほとんど確実である。
これが語られてから30年、いまだにその再検討がなされていない。予想を裏切ったこの国をキッシンジャーはどう思っただろうか。一方で、
もっとも、日本の指導者達は彼らの日本風のスタイルによって、ほとんどわからないほど少しずつ変化を積み重ねて順応していくのであろうが。
とも、予想している。国務長官在任中は歴代のアメリカ政権が例外なく経験したように、日本は煮え切らない歯がゆい同盟国だったことだろう。田中角栄が首相であったことがせめてもの救いだ。
知性と品性が必ずしも一致しないことに警戒を怠ってはいけないが、やはりこの著作で強く迫ってくるのは外交史という学問が作り上げたキッシンジャーの人格である。
前述したように、キッシンジャーの中でアメリカの民主主義というのは根付いており、歴史的に、
いかなる国も、アメリカのように自己に道徳的な規律を課したことはかつてなかった。
とみなした国の外交を担うことになる。しかしそれでも彼はその道徳性を盲信することはなかった。
見直しを困難にしたのは、冷戦を通じて、封じ込め政策関する国内的議論のほとんどが、外交を神学の一分野と見なすグループと外交を精神医学の一分野と見なその反対者との間の、地政学を排除した、旧来からのアメリカの議論の域を出なかったことだ。
短絡的な政治的教条、民衆に漂う神経症的で漠然とした空気、現実を無視した政策決定に翻弄されることなく、粘り強く仕事に取り組んでいた。
外交政策の神髄は、まさしく長期的な目的を追求するに当たって微妙なニュアンスを積み重ねていく能力にある。
アメリカ史上最悪の大統領と断罪されたニクソンの閣僚であったのにもかかわらず、キッシンジャーが名声と尊敬を集め、愛されたのは、学問が作り上げた理性と忍耐による人格ゆえであろう。
30年前に発表されたこの本の延長に今の世界がある。
キッシンジャーのもっとも大きな功績のひとつでもある中国との国交再開。すでにこの本の中で「2030年代には世界の主要な経済大国になる」と予想していた。そしてその中国と今、アメリカは対立を深めている。
中東はスエズ動乱の章がで語られていた。今のユダヤ・パレスチナ問題はキッシンジャー自身ユダヤ人なので語りにくい面もあったかもしれない。しかし、この章で西欧の帝国主義が歴史的に裁かれていない矛盾を今もなお、中東がアメリカに突きつけているのだと解釈できた。それにしてもイギリスの身のかわし方の巧みなこと。
そしてアメリカは孤立か、世界へのコミットメントか、モンロー主義か、ウィルソン主義かで揺れ続けている。それが来月の大統領選挙で問われることになる。
混迷する現代、世界がキッシンジャーの叡智を失ったことが悔やまれてならない。
R.I.P.
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外交 上・下巻
DIPLOMACY by Henry A. Kissinger
日本経済新聞 1996年6月17日 ISBN 4-532-16189-4 4-532-16190-8
付記:
30年眠っていたこの本を開くにあたって、もう一つきっかけがあった。
以前挫折したのには、地政学を重視する彼の論述に対して大戦前のヨーロッパの地理がわからず、記述を追えきれなくなったという面もあった。とくに焦点となる中央ヨーロッパの変遷は難しかった。
ところが、ちょうど読み返そうとおぼろげに思ったたとき、新宿の紀伊國屋書店で200年間のヨーロッパの変遷を一冊にまとめた地図を見つけた。まさにこの本のためにあるような地図である。この地図に出逢えたのも読了に向けた導きだったと思いたい。
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山川出版社 関 眞興 編著 2023年8月30日
ISBN 978-4-643-15237-3