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なにはともあれ

幼少期から、年末年始には地元の神社さんに行って、
長く続く階段を、「いち、にい・・・」と数えながら境内までの階段を昇る。
境内に着いて、お祈りする。
頑張って昇りきると、周りの大人がみんな褒めてくれる。

家には神棚があり、年末年始や節目の時は、家族で神棚に手を合わせる。

我が家には父が定めた順番がある。
父、上の弟、下の弟、母、私。
女は後に、神棚に手を合わせるのだ。
おそらく、私の先祖代々、じいちゃんの時から、ずっとそうであろう。

その様な家庭で育った私は、独自の神棚ルールが育てられていたと思う。

なんとなくなのだ。なんとなく。

けれど、その【なんとなく】が、私にとっては居心地がいいものだった。
どうして弟から先なの?という疑問はあったが。
そんな事を父に聞いたとて、長男は跡継ぎだから。
そんな答えしか返って来ない。

父は今も存命であり、今もそう言うと思う。

それを思うと、父の実家は米農家であり、田植えや稲刈りをいつも手伝いに行っていたが、
おじさんは、よく弟に「耕運機に乗るか?」と言っていた。
私は、それがとっても、とってもうらやましかった。
私も耕運機に乗りたかったけれど、「お前は女だからダメだ」と
一蹴された。

今、この時代であれば、なんちゃらハラスメントに該当するだろう。
ちゃんちゃら可笑しい。
そして現在、天国在住の叔父は、姪っ子が50を過ぎても、耕運機に乗せてくれなかった、おじというレッテルを貼られているとは、まさか想像もつかないだろう。

あぁ、私も男に生まれれば良かったのに。と子供心にも思ったものだ。

そんな私の、耕運機に対する強烈な憧れはさておき

私の中で「なんとなく」「なんか」が、必ず先に付くのは
幼少期から、この環境で過ごして来たからだと思う。

嫌ではない。むしろ好き。

でも、神社さんに行って、御朱印をいただいて、感謝、感謝でありがとう。
と、心から思えるようになったのは、30代後半に入ってからだ。

それまでは厄年の時に、お祓いで行く。
祭は、神社でやってて、綿あめとか、りんご飴とか。
弟は、ひよこや亀を買ってた。
ある日、ひよこの頭に、ぴょっこり赤いトサカが生まれてて、
いきなり「コケコッコー!!」と鳴いて、
私は、もうコイツは抱っこできないと思ったものだ。

神社ではお祭りがあって、なんだかお小遣いを使うのが楽しみで。
お祭りに行くと、友達も来ていてワクワクしていた所なのだ。

中学1年の時に、部活の地区大会の試合の朝、
1年生全員で地元の神社に必勝祈願のお参りに行った。
結果は優勝。

先輩がキラキラしていて、カッコ良すぎる。
私たち1年生は、嬉しくなって
「今朝、愛宕神社に行って、優勝祈願して来ました!願いが叶いました!」鼻息荒く報告した。
「あの神社は、豊作の神様なんだから、関係ない!」
と一蹴された。

え?ぽかんとする。
良かれと思って、朝、早く起きて、階段を昇り、行ったのに。

でも、愛宕神社って凄いんだよ!
神社にお詣りすれば願いは叶うんだ。
豊作の神様は、勝負にも強いんだ!

今、思えば
なんて、ピュアな子たちなんだと思う。

昔から身近な存在だった神社さん。

願いが叶うか否かは、横にそっと置いておいて

願いを決めたら、その叶えに向かって、無心で進むことが、叶うにつながる

大人になって、そう思う。

心の拠り所は、必要なのだ。

幼少期から、そのように教わり、育って来たこともあり、
なんとなく、いつの間にか、身近な存在になっている。

40代になって、日本の神話、歴史へと興味を持ち、書籍を読み漁り、
もっともっと大好きな場所に変わった。
そして50代になってnoteに、記録を残し始め今に至る。

なにはともあれ。
日本に生まれて良かった。






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