2020年香港情勢タイムラインまとめ
4月18日 去年8月18日の170万人集会を主催したとして、陳皓桓、李柱銘、楊森、何俊仁、單仲偕、蔡耀昌、李卓人、何秀蘭、梁國雄、吳文遠、黃浩銘、陳皓桓、吳靄儀、區諾軒、黎智英,梁耀忠が逮捕される。
6月4日 政府が初めて天安門追悼集会を禁止するが、ヴィクトリアパークや香港各地で追悼集会が行われ活動家を含む多くの香港人が天安門大虐殺の犠牲者に追悼を捧げる。
6月4日 立法会議員の許智峯 テッド・ホイ、朱凱廸 エディー・チュー、 陳志全 レイ・チャンが立法会で国歌法反対抗議を行う。
6月30日 香港版国家安全法施行。香港デモシスト、学生動源、香港民族陣線、香港大専学界国際事務代表団が解散を宣言する。
7月2日 香港デモシスト代表の 羅冠聡 ネイサン・ロー (27)がイギリスに亡命する。
7月29日 香港の独立を主張していた組織「学生動源」元代表の鍾翰林、何忻諾、何諾恒がSNSの投稿が原因で逮捕される。
8月6日 天安門集会に参加した黃之鋒、羅冠聡、張崑陽、何桂藍、岑敖暉、陳皓桓、梁凱晴、袁嘉蔚、朱凱廸、胡志偉、尹兆堅、梁耀忠、李卓人、何俊仁、鄒幸彤、蔡耀昌、郭永健、何秀蘭、張文光、梁國雄、麥海華、趙恩來、梁錦威、梁國華 、の計24名が違法集会参加の罪で逮捕、起訴される。
8月23日 香港故事(香港ストーリー)メンバーの李宇軒や前線に立ち続けた有名な勇武派チーム、屠龍小隊メンバー3人を含む12人の香港人が台湾に逃亡しようとして中国海警に拘束され、中国深センに送られる。
8月10日 周庭と黎智英が国安法容疑で逮捕される。
9月6日 人民力量副代表の譚得志(快必) が煽動的発言で逮捕、保釈が認められず、即時収監される。
9月6日 呼び掛けられたデモで社民連所属の陳皓桓(24)と梁國雄 長毛(64)が抗議をして逮捕される。
9月15日 立法会選挙民主派予備選に当選、元香港大専学界国際事務代表団発言人の 張崑陽 サニー・チュン(24)が亡命する。
10月5日 去年多くの香港人の間で唱えられた攬炒(死なばもろとも)という言葉を生み出した 劉祖廸 フィン・ラウ(27)が組織(攬炒團体Stand with Hong Kong)から離脱して独立すると共に顔と名前を出して反撃宣言を行う。現在英国在住。
10月27日 学生動源元メンバーの3人が再び逮捕される。
10月31日 香港本土派、天水連線所属、元朗区議員、伍健偉 ウン・ニン・ワイー (25)が太子駅で逮捕される。彼はいつも「命をかけて我が街を守る」と書かれた政党のTシャツを着ている。
11月3日 RTHK所属の蔡玉玲報道ディレクターが交通資料を不正利用したとして逮捕される(親中派メディアもいつも交通資料調べまくってる)
11月11日 民主派立法会議員の楊岳橋、郭栄鏗、郭家麒、梁継昌が香港政府に議員資格を剥奪される。
11月12日 民主派立法会議員15人が抗議総辞職する。その為、計19人の民主派が辞職、残った非親中派立法会議員は2名(鄭松泰,陳沛然)となった。
11月18日 立法会議員の許智峯 テッド・ホイ、朱凱廸 エディー・チュー、 陳志全 レイ・チャンが6月4日の国歌法抗議の件で逮捕される。
12月3日 立法会議員を抗議辞職した許智峯 テッド・ホイ(38)がデンマークの議員の協力を得て、両親と妻と子供を連れて亡命する。定住先は決めず、世界各地を回って香港の為に尽力するとしている。2日後にはHSBC銀行が凍結され、金融都市としても絶望を生む事件となった。
12月7日 数日前に行われた香港中文大学の卒業式で、光復香港時代革命(香港を取り戻せ 革命の時だ)、香港○○唯一出路(香港の○○が唯一の道)と書かれた幕を掲げた区議員の陳易舜、李嘉睿、中大OBの楊子雋、学生の計8名が国安法違反で逮捕される。
12月11日 元立法会議員、香港獨立を求める香港本土派、青年新政の召集人、香港民族陣線の発言人、梁頌恆 バッジオ・リョン(34)がアメリカに亡命する。梁頌恆は2016年に立法会議員になったが、宣誓で“Hong Kong is not China"の幕を肩にかけて中国を支那と言った為、立法会議員資格を剥奪された人物。
12月14日 去年10月1日に実弾発泡され重傷を負った学生、健仔Ah Kin(17)の彼女Aurora(15)が身に危険が迫っている事を理由にイギリスへ亡命する。彼氏とも家族とも離れ離れになり、最年少の亡命者となった。彼女はデモで逮捕されたが、16歳未満の為、起訴されていない。
12月17日 今年3月に米国で「We The Hongkongers」運動を行った元學民思潮メンバーの 許穎婷 フランシス・フイ(21)が亡命する。
12月22日 去年10月1日に実弾で撃たれて裁判中の健仔(19)が自由を求めて裁判に現れず逃亡する。健在は指名手配されている。
12月23日 黎智英が保釈を許可される。保釈金は1000万HKD(1億3千万JPY)、保釈条件はSNS投稿をしない事、海外メディアの取材に応じない事、パスポートの没収など。
12月27日 許智峯、梁頌恆、張崑陽、梁繼平を含む30名の亡命した香港人が国安法違反で指名手配される。
12月28日 深センに送られた12人の非公開裁判が行われる。しかし3日前に家族に知らされた為に誰も傍聴出来ず(隔離期間があるから)、家族が依頼した中国の人権弁護士も全員中国政府に断られ、中国政府が雇った弁護士が立ち会った。12人は全員が罪を認めた。
12月30日 深センに送られた12人に判決が下される。亡命を組織した鄧棨然は懲役3年、同じく喬映瑜は懲役2年。李宇軒、黃偉然、李子賢、張俊富、厳文謙、張銘裕、鄭子豪は懲役7ヵ月。未成年の廖子文と黃臨福は不起訴で身柄が香港に引き渡された。
12月31日 周庭が羅湖懲教所から大欖女懲教所に移送される。大欖女懲教所は重大犯罪の「A級囚人」を収容する施設。周庭の罪で収容される様な場所ではない。黎智英は最高裁判所の裁判官により保釈が取り消され、再び収監される。香港人は改めて法律制度が死んだ事を認識した。