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課長目前に転職という冒険

こんばんは。

キャリアって何なんですかね。

このノートを見てくださってありがとうございます。

さて、ここで何度か書いてきた「フリーのプロ」。先日、ちょうどそんな昔話について話す機会があり、あらためて考えてみました。どう伝えたら分かってもらえるだろう… 「専門的なスキルをもって自分のペースで仕事ができる」ということでしょうか。できれば、自分ならではのできることがあるといいな、と思っていました。なんとなく、関わった企画の受賞が続き、課長になりそうな気配を感じていた時期です。課長はたのしい?新しいチャレンジはその先に待っている?正直、まだ、空白の2年間を取り返したい気持ちもあり、まだ少しチャレンジがしたい年頃で、そんな想像がまだできない時代でした。

今現在、仕事でどんなときに最も燃えるか…?自分なら、「まだ何もわからないことを相談されたとき」でしょうか。誰かと何かを始めることだけが決まっていて、最終形もそこに至るまでの道筋もこれから考える、そんな場面が一番好きです。

なにか、冒険のようですね。少女の頃にファンタジーばかり読んでいたせいかもしれません。ファンタジーの中では、行き着く場所がありません。そしてまた、旅に出るのです。

今記憶をたどると、まさにそんな場面がときどきありました。大きな一歩を進めたとき、方向を変える転職を決心したとき。

そして、どこに行くかを考えるのです。海外で仕事したい、暮らしたい。でもその頃にはもう、いきなり出て行けない状況と分別が顔を出していました。

そこで自分が考えたのは、外資系企業への転職でした。TOEICは平均以上でありましたが、現実ではほとんど使えない。そこでまた、しばらく多忙を理由に中断していた英会話に取り組み始めました。ゴールは転職に必要な履歴書、つまりレジュメをきちんとした形で用意し、面接で会話できるようになる、シンプルに転職できることだけを意識し、晴れて希望の企業に入社した後のことは、残念なことにあまり考えていませんでした。

せっかく新たな出発を決心したのだから、社員でも契約でもあまりこだわらない。ただ、具体的な業務内容だけは、自分が翻訳会社や制作会社でやってきたことと地続きでありたいと考えていました。せめて、そこだけは専門性を発揮できないと自分の価値を売ることはできませんから。

英語の家庭教師とのマッチングサイトで出会った教師と、コーヒーを飲みながら、勉強しました。外国人で、日本語ができて、そこそこ長く日本に住んでいたので、うまも合っていたと思います。

レジュメについても、その教師からアドバイスをもらいました。すでに以前のテクニカルライティングのセミナーでアシスタントをしてくれていた学生さんに手伝ってもらって用意していた原稿を元に、自分のアーリーキャリアを振り返り、価値を言葉にして、お作法に従って書く。同時に複数の転職支援専門の会社と連絡を取りながら、自分に合った会社を探していました。

あれほどお世話になった上司である部長の定年のタイミングも忘れて、米国にセミナー参加のため長期休暇を自費で取ったときと同様、今度も自分で決めて、活動をし、結果として転職が実現したのは、1年後でした。


・・・ つづきはまた。

ご覧いただきありがとうございます。多少なりともお心に残るものがあればぜひサポートをよろしくお願いいたします。より多くの皆様とココロが響きあい、明日が少しでもあかるくなればとの思いで書きはじめました。