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3人目の英語の家庭教師のおばあさんと教会に行った


こんばんは。

キャリアって何なんですかね。

このノートを見てくださってありがとうございます。

3人目にあたるその先生には、特にお世話になったことを記憶しています。その当時は、外資系企業への転職準備目的で、英会話を教えてもらっていました。そして幸運なことに、私が転職できた後、入社直後の新人研修がアメリカで行われることがわかったのです。その研修先は、偶然にも先生の実家のすぐそばでした。広いアメリカでそんなことが、と驚いたものです。

東京であらかじめ地図と連絡先を打ち合わせて、旅立ちました。期間は2週間。新人はわたし一人でマンツーマンの研修でした。終業後の夕方と週末の2度、先生の家族のお宅にお邪魔し、食事をいただきました。真冬で、ホテルとオフィスがつながった建物には、いかにもアメリカらしい小さく雑多な売店と、大きすぎる高級中華料理店のみ。真冬のせいと、出歩く時間もない中、その建物に軟禁されていたため、連れ出していただいての温かい食事はありがたいことでした。

しかも、週末には、お邪魔した先生のおばあさんにあたる女性が、教会に連れて行ってくれました。私はアメリカでの宗教がどのように生活と関連しているか疎かったため、興味はありましたが、少し気後れしていたし、第一何の目的で教会に行くのか分からずにいました。

教会は、おばあさんの家よりも市街地にあり、当時とても危険がありました。それをおばあさんが運転して教会に通っていることに感嘆しました。だって、時折窓や店舗のガラスに銃口が空いていたりしていたのですから。

さて、到着した教会におばあさまについておそるおそる入ってみると、教会がいかに地元のコミュニティになっているか、肌で知ることができました。お祈りと廊下でのおしゃべり。そして編み物や会がを披露するなどの教会部屋。まるで部活のようでした。そこでも挨拶程度しかできず、見学しかできなかったのですが、その後私の人生でさらに地域の教会にお邪魔する機会があり、よい勉強になりました。

そうこうして帰国し、無事に着任すると同時に、昼夜問わずの英語まみれの生活が始まり、多忙と共に英語の家庭教師は終わっていきました。

転職後、さらに痛感したのは、英語を学ぶということは、半分は文化や今日までの社会が共有しているコンテキストや時代の空気などを知るということなのでした。たとえば、今年は花粉症がひどかったとか、80年代の空気とか、そのとき流行った映画の主人公がだれなのか、などといった、だいたいみんなが知っていたり記憶している出来事などのことです。こうしたことを知っておくことが、相手が引き合いに出している話題についていく力となると理解しました。



...つづきはまた。

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