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よりよい何かをめざして

こんばんは。

キャリアって何なんですかね。

このノートを見てくださってありがとうございます。

さて、制作担当者として翻訳コーディネーター、編集者(エディター)を経た自分は、所属する会社に再度舞い戻ってきました。

人間の反応は実は判で押したように同じ。普通の人間なら、同じシチューエーションで同じ反応をしがちなものです。

私はあれだけ憧れていた会社なのに、当時は入社してから花形部署にはつけず、1年経たずして出向となり、その間に見えていた景色が100°くらいだったのが200°くらいに拡がりました。そして、それまで見えていなかった方角にも「世界」はあることに気づき始めました。

この頃はちょうど英語の勉強を始めて資格を1つ、取得した後のことでした。どうやったら海外に留学できるだろうか。次のステップには、MBAをとるために海外に行ってみたい。しかし、勉強しても、英語の出来が今ひとつで、ひとり知らない外国に行くのはなんとなく尻込みもしていました。自分の専門になりつつある分野は、言語を扱うために、日本語を扱うならわざわざ英語圏に行く必要もないし、英語を扱うなら、英語圏で仕事をした経験があるくらいでないと、むずかしいものでした。

そんな最中に、過酷な仕事が原因で休息を余儀なくされたりと、いったん立ち止まることになりました。大変ではありましたが、逆にその時期を利用して改めて人生を考えたり、クラフト系の趣味に明け暮れたりして過ごしました。そして、趣味を仕事にしたらどうだろう、とまで考え、自作のアクセサリーや化粧品等を販売しようか、等調べてみたりしていました。当時はまだメルカリやBASE、Creemaなどのアプリもなく、リアルの世界にちょっとした販売場所が流行ったりしていました。

職場に再度戻ったときに、仕事が少し変わっていました。それまでの制作ではなく、新事業開発や企画担当に職種が変更されていました。

新しいことばかりでしたが、面倒を見てくれた上司は、自分が家で休息していたときには定期的に手書きのハガキをくれたり、将来を見据えた企画の開発を任せられたりと、充実した日々となりました。

それが、憧れていた花形部署での仕事の始まりでした。



・・・ つづきはまた。


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