漆草子 -つよきもの-
漆とは
『つよきもの』
前の記事を書いた次の日に、能登に豪雨災害が発生した。
幸い、、と言っていいのか分からないが、記事に書いた友人も、ほかの知人たちも、浸水被害は受けたものの無事だった。もちろん東京にいる自分は何の被害も受けていない。
にも関わらず、1週間以上、頭も心も体もずん…と落ちたままだった。何かできることはないのかと、周囲に呼びかけ土砂掃除用のタオルを集め、能登に向かう友人に託したり、被災したわけでもない自分が凹んで何になる!と自らに怒りを向けてみたりするものの、どうにも腹のなかに石みたいにずんと落ちた気持ちが持ち上がらない。
情けない。
弱いな。
ようやくエンジンがかかったのは、ふと目の前にある古い朱塗を見たときだった。
百年は経っているだろう。何かに打ち付けられたのか、ひどく縁が欠けている。
しかし、
美しいのだ。
この力強い気品は何なのか。
元の持ち主は奥能登 珠洲の旧家。元旦の地震で被災し、家と蔵が壊れ、解体することになった。先祖代々キリコ祭りのときに使っていた30客の膳椀を手放さざるを得なくなったが、廃棄するのはあまりに悲しく、知らせを受けた私たちは次の使い手を探して繋ぐため、山あいのお宅を訪ねて預かってきた。豪雨水害の10日ほど前のことだった。
蔵から救い出し、洗って拭いて、また拭きあげた百年の朱塗の美しいこと。
このお宅は豪雨災害のあと、周囲の山道が悪化して家にたどり着くことすら困難になった。家主たちは避難していたので無事だったが、家から救い出したかったのは膳椀だけではなかっただろうに。
その一方で、私の目の前にある膳椀は、生きたかったのだと感じた。
しばらく先の見えない能登から一旦は出ることになってでも、どこかで生き続けたいのだと。能登のことを伝えるアンバサダーとなって、世に出ていく道を自ら選んだのだと。
ただの偶然だったのかもしれないが、数奇な運命を経て私の手元にやってきて、力強く美しいオーラを放っている。そんな朱塗を見ていたら、ようやく腹の石が消えて、目が覚めた。
ウルシスト®の使命は、漆の文化を現世に育て、後世に伝えていくこと。
「漆を守る」と思ったことは一度もない。人が守らなくても、漆もウルシの木も滅びることは決してない。必ずどこかで生きていく。1万年以上、多くの天変地異や人々の争いを見ながら淡々と命を繋いできた漆は、これからも人が文化を育てる限り、静かに存在し続けるはず。守られているのは人の方だ。
豪雨災害から1か月。朱塗の膳椀は、ほぼすべてが新たな使い手のもとへと引き継がれていった。手元に残った大きく欠けたお椀をひとつ、私のもとに置いておこうかなと思っている。
木地はほとんどゆがみなく、欠けた部分には頑丈な下地と布着せが見えている。百年前の丁寧な仕事。
漆とは、つよきもの。
漆とともに生きてきた能登の人たちもまた。
トップの写真は、能登の合鹿椀。江戸時代の庶民のお椀。