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頭と心が硬直して

連日、仕事のカンファレンスで会場に長時間かんづめになっていた。隣りに座ったのは日本語を流暢に話す韓国人の男性だった。見た目は同じアジア人なので、もはや日本人だ。しかし、文化的バックボーンと日本にまでやってきたパーソナリティを考えると、見た目は同じでも僕とは全然違う人生を歩んできているのだ。似ているのに全く違う。その事実を考えながら不思議な感覚になった。

彼は大学の卒論で夏目漱石『坊ちゃん』を扱ったらしい。その時にはまだ日本語の能力も高くなく、彼は基本的には韓国語に翻訳されたテキストと韓国語の研究書を主に使っていた。日本語の原文にも挑戦したが、とても歯が立たなくて諦めてしまった。目を細めて話す彼の顔を見ながら、韓国の日本文学部(というものがあるのかな)のゼミ室を想像していた。
確かに、日本語は話すことよりも読み書きのハードルが高いのかもしれない。漢字は、読みと意味の両方があるので難しいということだった。文字を読む時、僕はその音を頭で鳴らしながら、意味のイメージを思い浮かべながら読み進めて行く。日本語を第二、第三外国語として学ぶときには、音にするのも、意味をイメージするのも難しいようだ。ハングルは、文字と音が一致している。その点は英語と似ている。
彼の日本語は流暢で、ほぼ100%齟齬なく会話ができていると感じる。でも、人前で日本語の講演をするときには、韓国語で書いた原稿を日本語に翻訳して話すということだった。大変な努力だ。

僕の英語は、読むのは限定されたジャンルなら割と読めるけれど、会話はとてもシンプルになってしまう。聞くのは、話し手の語彙と明瞭さによってかなり変わる。集中しないと理解は穴だらけだ。人前で長時間英語で話すのも無理だ。朗読するなら可能だが。でもまぁ、今のところそれで不便はしていないので、必要にかられない限り伸びなさそうではある。

カンファレンスから帰ってきて、その長時間の拘束のため頭と心が硬直してしまった。眠りたいのに眠りたくなく、横になっても落ち着かない。しょうがないので、ベッドで横になったまま村上さんの『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』の続きを読み進める。肖像画のモデルをしてくれていた「まりえ」が失踪したことの意味をぼんやりと考える。すると猫が足の間に飛び乗り、そこで丸くなって眠り始めた。隣りでは妻がこちら向きですやすやと眠っている。
大抵妻の方が早く眠るので、猫は僕のベッドの足元のところを定位置に、妻と一緒に眠る。「この子はいつも私と一緒にいてくれる」と妻は猫を可愛がっている。僕がやって来る足音を聞きつけると、一瞬どこかに消えてから再び戻ってきて僕の足の間に乗る。いくつも部屋があるのに、二人と一匹が一つの部屋に集まって横になっている。その様子を俯瞰で見るように想像して、しずかなぬくもりを感じた。
一時間ほど読んでも眠れなかったので、コーヒーを淹れてリビングのソファで横になった。するとふいに眠気が降りて来たのでそのままベッドに滑り込み眠りに落ちた。

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