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「雑感」というタイトルで最初書き始めた。そんなタイトルを一度使ってしまったら、大体すべての記事が雑感しか書いていないような気がしてしまう。

だが書き始めるときはいつも本当に雑感を書くつもりで書いている。それでいて、書き進めるとまぁそれなりに内容がまとまっていくので、雑感と言うタイトルで書き始めるのお勧めですよ。

自分の中で意識の改革が行われつつあるのを感じている。改革を行っているのは自分自身なのだが、仕組みを変えたら意識と感覚の流れが変わって行っているのを感じている。

気持ちいい変化ではないのだが、長年使ってきた馴染みの歯車たちを、違う順序ではめ合わせ、今ぎしぎしときしみながら新しい仕組みが回り始めている感じだ。痛みはあるが、だがふさわしいところにやっと来た感じもしている。

何度か書いてきたが、私にとって父は不可思議な人だ。何を考えているか分からない。否、考えていることは分かる。説明してくれれば、説明してくれた範囲については分かる。行動も、理に適ってはいる。だが、全体として不可思議なのだ。その…存在が。在り方が。生き様というか、私とのかかわり方が。

心地よくない不可思議さである。一緒にいて、いつも居心地が悪い。どうしてなのだろうと長年感じていて、そしてもはや疑問にすら思わないくらい居心地の悪さが当たり前になっていた。おかしいところがないはずなのにどこかなにかがおかしいとうっすら感じている。それが常となっていた。それが、こういうことなのかもしれないという表現に出会った。

おそらく、父は「他者と親密な関係を築いて喜びや安らぎを感じること」のできない人間であったのだ。

これは能力とも成熟ともどちらともいえるが、父の精神性はそのような形で他者と結びつくような柔軟性を持っておらず、また他者に寄り添うための心の余地もなく、そのために時間をかけて関係性を築いていこうという意思もなかった。関わりたくないというのとは少し違う。「親密な」言葉のやり取り、人格的な交わり、素直な感情の丁寧な交流。そういったものが、彼の精神性にとっては、扱いきれない代物であったのだ。

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