好きに気が付くとき
ピアノの音は割と身近にあったのだけれど、かえってそのせいであまり耳を開いて聞いて来なかったかもしれない。一人で世界観をつくる楽器であるため情報量が多く味わうためのとっかかりをもてなかったのかも。
リヒテルやグールドなど、選曲や音色に個性がある演奏家が好きだ。
ジャンジャンバリバリなんでもござれという感じは好きではない。
ところで、今好んで聞いている曲がある。アンスネスのシベリウスだ。もみの木なども面白いけれど、いまこのImpromptu Op. 5/6を聞いている。この記事を読みながら聞いてみてほしい。
遠いあたたかな記憶を辿るような旋律が広がっていく。左手はシンプルなアルペジオを繰り返し自然に高まってそして鎮まっていく。あたたかい流れがとめどなく続いており、切ない気持ちも柔らかく包まれていく。
しかし、ひとつのことが心に引っ掛かり、それがきっかけで冷たい海の深みへと落ちてしまう。恐くはないけれど冷たい水が肌を通り抜けていく。するすると群青の海の冷たさの中に体が溶けていく。先ほどのあたたかな記憶は胸の中に小さく隠れてしまい、今やすっかり暗い青に包まれてしまう。海のなかに私は取り込まれてしまった。もう光も見えなくなった。
目を開けると暖炉の前で眠っていた。あぁ、海の中に沈んで行ったのは夢だったのか。いつの間に眠ってしまったのだろう。遠いあたたかな記憶を辿るような旋律が広がっていく。左手はシンプルなアルペジオを繰り返している。自然に高まってそして鎮まっていく。あたたかい流れがとめどなく続いており、切ない気持ちも柔らかく包まれていく。
しかし、ひとつのことが心に引っ掛かり…
以下エンドレス。
アンスネスのピアノは、確信があってはっきりしているけれど、固さや重さとも違う。かといって、くねくねもしていないし、退屈というのでもない。
正統派と個性派の両方を混ぜ合わせてマーブル模様にしたような感じがする。つまり、アンスネスはアンスネスだ。
音の終わる先にも神経が行き届いていて、消え方にちゃんと意図があるのがわかる。心地よい、情報量の多さだ。丁寧に意図を込めてくれているので、その意図をくみ取ろうとする営みがきちんと報われる感じがする。
小説や映画、あるいは料理の様に、好き嫌いがある。同じ曲でも、好きになれる演奏と、なれない演奏がある。同じ演奏家でも、好きな曲と好きに慣れない曲もある。
いろんな組み合わせと出会いで、好きなものを好きだと発見する瞬間が面白い。誰かの様に好きにならなくてよくて、自分が好きになるものを発見すればよい。