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遅いけど速いかもしれない

クラシック音楽の音源を聞いていると、まぁ大変美しく仕上がっていて一点のシミもない。そういう完璧を目指すというのがこの音楽の方向性だから、CDが出るくらいの演奏には当然ながらシミがないのである。

「良い曲だなぁ。それでは自分も弾いてみるか」とやってみるとこれが大変難しいのである。
真似して一緒に弾いてみると、如何に様々な工夫の末にこのような自然(に聞こえるよう)な演奏が仕上がっているのかが理解されてくる。

出来るようになった人は、するべきことが出来ているので、何のために何をやっているのかを説明することは出来る。多分。

出来ていない人は、何が出来ていないために問題が残っているのかが分かっていないので、何をやったら良いのか分からない。

その違いを生めるためにはですね、真似して一緒に弾いてみると良いです。そうすると、こんなところでリットかけてるとか、ここでいきなりクレッシェンドしているとか、ここが頂点なのか、とか発見がある。楽譜を解釈するってこういうことかぁと納得できる。 演奏者によって違いますからね。

聞いているだけだとね、美しいなぁとは思うのだけれど、楽譜の解釈まではあんまり明確に意識が行かない。楽譜を見ながら聞いても、あまり驚きもしない。でも一緒に弾いてみると、演奏の意図がよく分かるということがある。

あと、修正点を探すには、自分の弾いている姿を録画するといいですね。まぁ~ほんとうに変なところで急に速くなったりするし、指に力が入っていたりするし、無駄に動いていたり、口が開いてたり笑…変なところが一目瞭然。なのに、弾いてるときには一所懸命なので耳が閉じていて、おかしいところに気が付かないのですね。

レッスンに行けば、そういうところをしつこく指摘されるのだけれど、そういうのを自分で気が付きたい。
そして、どうしてこうなっているかを考え、どうしたらああいうふうになるかを考え、見た目と体感と聴感覚をすり合わせながら練習法を工夫したい。そういう工夫を積み重ねて、自分を広げるのが面白い。


自分は理解が速いのか遅いのか、良く分からない。「わかった」と感じるまでに時間がかかる。隅々まで試して、自分の中で納得するまで繰り返すし、この場合とあの場合ではどうちがうのかとかどんどん疑問が浮かんでくるし、わかってないのに分かったふりをするのが嫌なので、階段を上るまでに時間がかかる。でも、そうやってわかったと感じたものは本当に分かっているし、分かっているので応用が利くし、考え尽くしたのでいつまでも忘れないし、本当に「自分のもの」になっている。そうやって身につけた力を組み合わせていくと、結果的には自分なりのなかなかいい感じのところに進んで行ける。結果的には、一見すると理解が速そうに見えていた人よりも自分の方が速く進んでいたりする。でも、どちらがいいのかは本当に分からない。比べても仕方がない。自分の出来るやり方でやるしかない。

理解の仕方にも、性格が出るよね。

#チェロ

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