これは私の綴る物語だ。何度だって書き直せるんだ。
いつだって、きちんと祝ってもらったことはなかった。形だけの「おめでとう」とか「よかったね」とか。その言葉もない時のほうが圧倒的に多いのが我が家。
今日のは、ほんとうに理解できなかった。
9月22日は通信制大学の入学発表があった。どうせなにもリアクションしてくれないから事前に伝えなくていいやと思い、送られてきたメールをスクショしたものと、合格していました」の文章とを一緒に家族LINEで流した。
文章の流れ的に「入学の合格発表」というのはわかると思った。だけど「そう思った」私がばかだった。
家に帰ってからひとこと言えばよかったけど、どうせなにも言ってもらえずスルーされるのがオチだと決めつけてなにも言わなかった。
我が家はいつもそう。大事な話でさえ、隅のほうに追いやろうとする。興味のない話題なんか特にそうだ。
取り仕切るのは我が家の人間ではない同居人。同じ血が流れているわけでもない、ただの赤の他人。もうこの時点で「我が家」は体裁を失っている。
我が家の秩序を破壊するために現れたとしか言いようのない人に主導権を握られたのは、いつ頃からだろう。
私はきっと「話すこと」による意思疎通に不具合がある気がするとずいぶんと前にどこかで書いた。機械ですかと言われたら「もしかしたらそうかもしれませんね」と答えるかもしれない。それくらい、人と話すことが苦手だった。
「電話するより紙を渡したい」とか「話すとごっちゃになるからメモでいい?」とか、話すよりもメールで済ませたい人。人間が持つコミュニケーション能力のひとつ「言葉」を捨てている。咄嗟の時は仕方がないから頑張って話すようにはしているけど、話したい内容を事前に組み立てていても、そのまま出てきてくれたことなんて一度もない。それをかかりつけ医の看護師に相談してみたところ「わかるよ、わかる。私もそうなの」話だけは聞いてくれた。「紙に書いたものを見て話すようにしている」と教えてくれたので、今度実践してみようと思った。
それでもうまくいかないかもしれない。事前に考えておいた反応と違う反応が来た時は、きっと黙りこくってしまうのかもしれない。
「話したほうが圧倒的に早い」ことはわかっている。わかっているけど、口と舌が動いてくれない。きっと、頭もそのつもりなんかないのかもしれない。
きちんと「人間」として生まれてきたのだから、たくさん話したい。他の人と同じようにおしゃべりしたいけど、どうしたってお口にチャックしてしまう。
物事を決める時は「家族会議」
安価で手に入るようなものではない家電とか、動物系は特に。フクロウは無断で購入されたので家族会議もなにもあったもんじゃない。
そんな家族会議だけど、開幕してもなかなか進まない。一番それらしく進んだかなって思ったのは「犬を飼いたい」「通信制大学に通いたい」の時くらい。
「犬を飼いたい」会議は私が一番渋っていたので一晩で答えを出させなかった。犬はぬいぐるみじゃない。きちんと命を持った生き物だ。即答すればすぐにでも購入されてしまうんだから、家族会議という名目だけど、正確には「我儘」に近かった。当人は「強要していない」と言うけれど、雰囲気を察したら流れに乗れよといった具合。反対派は波に乗る技術が高くても、簡単に飲まれてしまう。
当時は3対1で飼う(飼ってもいい)となった。1(飼いたくない)はもちろん私だ。きちんとした躾や世話ができるならどうぞと譲ればよかったのだろうけど、当時の私はこの先に起こることをすでに予想していた。
この家のことだから、どうせ碌に躾もされないに違いない。
飼いたいと言った本人がなにもしないのは「欲しくて欲しくて、ねだった小学生」の発言だ。どうしても欲しいならと納得させても、だいたいは「毎日ごはんの世話をする」「散歩に行く」など家族との間で「お約束」を出すか決める。よく聞くのは「途中でやらなくなって結局母親や父親が世話をしている」だ。
しかし「ほんとうに欲しがる小学生」は違う。きちんと決まりを守る。世話をしていくうちに愛着が湧いてくる。「かわいいだけでは飼えないこと」を、話やどうふとの触れ合いの中で理解し始めるはず。
ほんとうに好きなら、世話や躾を投げ出すなんてあってはならない。ましてや「こんなこと」を起こしてはいけなかった。
ブリーダーをやっていたと言うのが、嘘に聞こえてきた。
「通信制大学に通いたい」会議は私の独断で決めたかったけど、始めるにあたり「パソコンの買い替え」を検討しなければいけなかった。その時も会議を開いてくださいと言われ、いざ話したところで「話す内容の順番が違う」と笑われる。
理由もなく通信制大学に通う人はいない。私の場合は進学せずに社会に出てしまったために挑戦したいと言った。
いきなり「パソコンの買い替えをしたい」と言ってしまった。順次立てて説明するのが好きではないから、私は口頭での論述が大嫌い。できればサクッと説明してすぐにでも引っ込みたかった。どうせまた言葉が足りないとか、理由を先に言えよとか、どうでもいいところをつつき回されるネガティブな未来しか予想できなかった。
図書館司書の説明を姉がざっくりしてくれたのは助かったけど、学校の図書館で働くには教員免許が必要になってくるからまた別の話になる。私は別に学校の図書館で働きたいわけじゃない。
最初は「主旨が理解できない」で切られるかと思っていた。その前から母親のみに相談していたのだけど、やはり私の説明不足で「ユーキャンみたいな通信講座で取れるもの」と思われていた。「通信制『大学』だってば」と返したら「だと思ったけど」ときた。
それはほんとうに「わかって」言ったのだろうか。
図書館司書は大学を卒業することが大前提であり(高卒でもなれるそうだけど実務経験と司書補になる必要がある)、司書補を目指すよりは一足飛びで図書館司書を目指したほうが早いとなった。
ここまで来てしまった以上「やっぱりやめた」はできない。
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誕生日まで指折り数え、気づけば当日を迎えていた。時の流れを止める術はないけれど、己の心臓を止めれば「自分の中に流れる時間」だけは止められる。
私はいつも「特に欲しいものがない」で一度保留にする癖があって、その場で「これが欲しい」「あれが欲しい」を言うことがほとんどなかった子供だったそう。両親が離婚する前の記憶は曖昧だけど、その時も特に「欲しいものはない」と答えていた。
「欲しいものがある」と、誰かに言うのが恥ずかしいと思っている節があったようだ。
今でこそ「パソコンの買い替え」や「プリンターが欲しい」と言えるものの、どこからかついてきた「言葉足らず」がつきまとい、結局上記のようなことになっている。ねだることができない。欲しいから買ってほしい、が言えない。
聞けるものなら、聞いてみたかった。
生みの親に対して「自分を愛しているか」などばかげた質問をしたとしよう。私が見ている動きと違う動きをしていると思っている相手の答えはきっと「愛しているに『決まってる』」と答えるのかもしれない。
その『決まっている』は、今までの生活を見てきても、どうしたって信用ならない部分のほうが多かった。
笑い方が下手でも笑顔が絶えず、裕福でなくとも絵に描いたような生活を送ることができればいいと私は思っていたのだけど、小学生の頃に父親と離され、なぜか同じ町内をふらふらする羽目になった。そのせいなのか私の性格もいい感じに曲がってしまい、父親を「父親」とは見られなくなり「他人」として接している。
夏休みやお正月は祖父母の家(父親がいる家)にお泊まりに行っていたから、もうなにがなんだかわからなかった。離婚とはなんだったのか。離れる口実を作っただけにしか聞こえなかった。
そんなわけで、私は母親をあまり信用していない。基本的にふわふわしているのか天然なのかよくわからないけど、なにを考えているのかわからない部分があるのは私と同じ。同じだけど私とは違う。同じ人なんて一人としていないから。
同居人と何度も喧嘩しているのに、まだそこにあろうとする姿勢が強いのか、何年経っても離れようとしない。10年近く前に知り合ったと言うらしい同居人、私も姉も大嫌いなままで、少なくとも私はまだ疑っている。
同居人に軽く支配されているように見えてしまう。あながち間違いではないと思うけど、暗示がかかっている本人はまったく気づいていない。いつまでこの歪んだ関係を続ければいいのか。
それが嫌だから反発をする。反発すれば母親が仲介に入り、つかなくてもいい傷がつく。同居人が不貞寝するか翌日になると私はお節介が働いて「誰にも言わないで」から始まるLINEを母親に送ることが何度かある。
やはり言葉だけなのか、翌日にはけろっとして「いつも通り」に接しようとするからもうわけがわからない。
とてもじゃないけど、これを送ってきた本人がほぼできていないときた。
「生みの親がすべて」「家族は大事にしなさい」という考えを、私はもう持てないのかもしれない。
性格上、周りに馴染むことが難しい私を、家族がどう見ているのかさえも想像できない日々が続いている。単刀直入に聞いて、思っている答えは返ってくるのか。それとも聞かれずに流されてしまうのか。
誰かと付き合ったら、結婚したら、その考えは変わるのか、変わらないのか、それすらもわからない。
家を出ることに関しても「家族会議」を開かなければならないなら。仕切るのを同居人に任せるのではなく、母親にきちんとお願いしたい。
通信制大学の学生証が届いていた。
嫌味のように、冒頭の件を指摘された。
「『合格』した件も意味がわからない」
介護系の国家資格を取った人がこれを言うんだから、そちらのほうが意味がわからない。
周りを見ていれば、すぐに気づけるはずのものを見落とすことに慣れきっている? と逆に聞いてみたい。
意味がわからなくて結構。
これは私の綴る小説だ。何度だって書き直せるんだ。