息子の謎行動。解釈が変わって幸せを感じたこと。
わが家は、山の上の方にあります。
車を停めるのは、道路のすぐ脇にある、ご近所さんにお借りしている倉庫の前。
そこから家までは、徒歩約3分半。
ずっと登り坂です。
週末は車で1時間の実家で過ごし、日曜に自宅に帰ってくるわけですが
一週間分の買い出し荷物を持って上がるのが、毎回、まあまあ大変なわけです。
今日の帰り道のこと。
4歳の次男は、車の中で寝てしまい
到着直前に起きたものの、「眠たい…」と
ご機嫌ななめ。
もう、歩くつもりなどサラサラない息子。
この状態では、とても歩いて上らせるのは無理。
わたしは、(もう、荷物は後で運ぼう。)そう覚悟を決めて、子どもにねだられる前に、「おんぶしようね」と背中を差し出しました。
なんだか嬉しそうに、おんぶしてくる息子が、素直にかわいい。
自分から先に決めてしまえば、不思議なほど、「もう〜」とか思わずに背中の子に意識が向きました。
「寒くなあい?」「眠たいね、疲れたよね」
と声かけしながら、一歩一歩登っていくわたし。
お互いの温もりを感じて、一体になったような安心感に包まれます。なんだか幸せな時間。
とはいえ、15キロを背負って3分半も山道を登ると、それなりに体力を使います。
やっと家の前について、玄関で子どもを下ろすとホッとひと息。
の、つもりが
息子は、わたしの手をひいて、外へ出て行こうとします。
???
(今登ってきたとこやのに、一体どこ行くねん?)
「どこいくの〜?」と聞くと
なんと、
「お父ちゃん迎えに行く!」と言うではありませんか。
夫は、車の荷物を、背負子で積めるだけ運んで来るので、たいがい一番後に登って来ます。
え…
下りるん?
今登ってきたとこやのに?
しかもずっとおんぶしてきたのに?
即座には理解しがたい息子の行動に、とまどいつつも
力強く手を引く息子に連れられて、今来た道を下りていきます。
以前のわたしなら、多分、ここで怒っていた。
もう、なんなん!
せっかくおんぶで連れてきたげたのに!
すぐ下りるんやったら、下におったらよかったやん!!!
とかなんとか、不満たらたらでザワザワしていたと思うのです。
でも、今日は違いました。
息子を見ながら、分かったのです。
「ああ、この子は、さっきのおんぶで心のエネルギーをチャージできたんだ。だから、次の一歩を踏み出すことができたんだ」と。
それに気づけた時、わたしは、言いようもなく満たされた気持ちになりました。
たった3分半の、おんぶの時間。
その短い間の心の交流で、この小さな子が
元気になれる力を注いであげることができたなんて。
あの体験で、確かにこの子に、母のぬくもりが伝わっていたんだと確信したとき、ああ、よかったと心から思いました。
子育てしていると、こどもという理不尽な生き物に振り回されることがたくさんあります。
でも、そんな理不尽にぶち当たったとき。
おとなの都合には、一旦目をつぶって
少しだけ、子どもの気持ちに戻って感じてみる。
そうすることで、思いもしなかった幸せや感動を感じられることがあるものです。
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