何ものでもない自分
最近、「のんびり過ごす」ことができるようになりました。
田舎への移住を思い立ち、仕事をやめてからも慌ただしくする癖が抜けなくて、
何となくソワソワと落ち着かない心。
引越したら引越したで、早く住まいを整えなきゃ!と、そんな思いに駆られるまま
パタパタと日々を過ごしてきました。
それでも、少しずつ
心の声に耳を傾け、
自然を味わう時間やくらしを見つめる時間、
自分の心や感情と向かい合う時間を過ごすうち
『ただ自分が自分でいる時間』を
過ごすことができるようになってきました。
母でもなく
娘でもなく
妻でもなく
なにかの役割を果たさなくてはと、気負うことなく
ただわたしとして、そこにいる時間。
そうしてしまうと、『なにも果たさない自分』
は、みんなにとって特別な価値のない自分と扱われるのではないか。
もうちょっと、こうしてよって叱られるのじゃないか。
愛想つかされるのじゃないか。
そんな、見えない恐怖で自分自身を駆り立ててきたわたし。
けれども、恐れていたことは、何も起きませんでした。
ただ、わたしとしてそこにいる。
それを、受け容れている。
そして、受け容れてもらっている、
その安心感。
そうして過ごす時間を、自分に許可してみると
世界の見え方が変わった気がします。
家族がだらけていたって、朝、いつまでも寝てたって
腹なんか立たない。
「あぁ、くつろいでくれてるんだな♡」
「みんなが健康で、ありがたいな♡」
そう思えるようになりました。
とはいえ、そんな「のんびり過ごす時間」に
未だにドキドキすることもあります。
こんなにのんびりしてて、いいのかしら。
ダメダメに、なるんじゃないかしら。
世間から、白い目で見られちゃう?
そのうち、怒られるんじゃ?
…
今朝もまさに、そんな不安にかられかけていた、その時。
冬休み中の、息子の姿が目に入りました。
ぐっすり眠って、昼前に起きて。
パジャマのまま、こたつに寝そべって
テレビを見ながらゲーム三昧。
なんかホッとする、自然体の姿。
わたしもきっと、子ども時代はこんなふうに
心のままに過ごしていたのかもしれない。
心を開放することについては、まだまだなんだな〜。
子を師匠と思って、その姿に学ぼう。
人生のうちの、こういう時間は、何ものにも代えがたい、無くてはならない時間なんだと
改めて感じながら、子の存在に感謝した朝でした。
日々、様々な役割を背負っている
責任感の強いあなた。
たまには、『何ものでもない自分』で
過ごす時間を持ってみませんか。
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