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電話連絡
F先生にあんたの本をお渡ししたよ、と実母が知らせてくれた。先週の半ばごろの話だった。
F先生はわたしが6歳から12歳までピアノを習っていた先生だ。実家から徒歩1分。絵に描いたような良家の子女で、いつも鈴の鳴るような声でお話された。
実母は「あんたの最初の音楽の先生」と言うが、本当に最初にお教室に通ったのは3歳で始めたエレクトーン教室だった。今考えてもあまり良い先生ではなかった。怖かったし叩かれた記憶もうっすらある。齢3〜5歳にして、教室までの道のりが随分憂鬱だったのも覚えている。実母はあれを記憶から抹消したいのだろう。まぁそれでもいい。親子ともに改竄してもなんの問題もない。
拙著をお読みくださったとのことなので、電話番号をきいてお礼の電話をかけた。4コール目で、びっくりするほど記憶のままのお声が飛び出してきた。ふんわりとした上流階級のF先生から発せられる何もかもがまぶしく思えたあのころの記憶が、いっぺんに押し寄せて来た。
わたしはあまり出来の良いピアノの生徒ではなかった。家にピアノはあるのにろくすっぽさらわず、中学になる前には「部活が忙しくなるだろうから」と教室もやめてしまった。そんなわたしに親しくお話ししてくれ、共通の先生のお話などをたくさん話してくださった。
お話の最後の方で、先生ご自身がほんとうは中学校で吹奏楽部にはいりたかったこと、クラリネットをやってみたいと思っていたこと、でもピアノが弾けるからと言って合唱部に半ば無理やり入らされたこと、それから随分たって、私の高校の定期演奏会にお招きした時にわたしがステージの上で大勢の部員と一緒に演奏していたことがとてもうらやましかった、とおっしゃっていた。ピアノは1人だから寂しいの、とも。
この先生の記憶を手繰る行為とは裏腹に、私はつい考えざるを得なかった。
先生、私はもう少しあなたのもとでちゃんとピアノを学べばよかったのかもしれない。そしたら大勢で群れずとも1人で音楽を作り出すちからが身について、苦手な人間関係に悩み傷つくこともなく、楽しく独奏で作り上げられる世界に遊べたかもしれない。
いまとなっては「たられば」以上にはなりえない、そんな取り止めもない覚書。